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ときのき
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ハーンが描き円城塔が訳す、異相のKWAIDAN
 ラフカディオ・ハーンは東京帝大で英文科の教師をしていたことがある。それは知っていた。だから、当然というか、彼は日本語がある程度でき、文献も読める人だったのだ――となんとなく思っていた。『怪談』を通読したことがなくても、幾つかの有名な話はどこかで目にか耳にかしていたから、そもそも日本語で書かれたものであるかのような感覚ですらいた。
 違うのだ、と意識したのは今回の円城訳を読んでからだ。

 縦のものを横にする、あるいは横のものを縦にする、そうした作業を経て翻訳は生まれ、読者は当たり前のように異言語から移し替えられた文章を読む。日本語として違和感のないものに仕上がっていれば、多くの場合それが正確な訳かどうかの判断はつかない。翻訳者が正しく訳したと信用して読むことになる。どこかに飛躍や強引な辻褄合わせが仮にあったとしても、原文と照らし合わせるひと手間を取らない限り気がつくことはなく、勿論九割九分そんな面倒なことはしないだろう。だが、本書に関しては、ハーンの原文が簡単にネットで参照できることもあり、気になった個所については実物にあたってみることをお勧めする。すると、英文で読んだ際円城が感じたという、ハーンの文章の異様さが、より実感できると思う。

 当時の英語圏の読者が読んだのは極東にあるフシギの国の物語だった。それは日本人から見るとユニークで、もしかしたら噴飯物ですらあるかもしれない。『ニンジャスレイヤー』他、欧米人の“勘違い日本観”をコミカルに扱った作品は少なくないが、それらは「“正しい日本観”を持った日本人」であると何故か当然のように自認する読者が、高みから含み笑いとともに日本観の正否をジャッジすることで成立していて、本書も言葉の違和感からくる外見的な面白さを狙っている面はあるけれど、円城塔なのでそこで終わらない。

 本書は前半三分の二が表題通りの怪談の再話、残り三分の一は昆虫の生態についての考察にあてられている。一見どことはなくちぐはぐな取り合わせだが、併せて読むことで、この本をハーンがどういう意図でもってまとめたのかが薄っすらとわかるようになっている。

 ハーンは異国の昔話を好む単なるディレッタントではなかった。元いた西欧のキリスト教社会に馴染めず、何か別の理屈で動く世界を求めていたようなのだ。蝶、蚊、蟻、三篇の研究は極めて理知的で、虫の社会を通して舌鋒鋭く人間の社会を論じ、宗教に対しても少なからず懐疑的だ。訳者は彼を様々なコミュニティの“境界にいた人”と表現するが、その伝でいえば、彼はまたこの世と彼岸との端境にいた人でもあったのだろう。

 怪談話を集め、翻訳したのは、例えば蟻の社会に人間の社会の理想を見るような、ハーンの社会観の延長上にあったのだと思われる。この本は、謎めいた東洋文明への興味を満たすための娯楽読み物、としてだけではない、当時の西欧社会への提言を含んだものだったのではないだろうか。
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ときのき
ときのき さん本が好き!1級(書評数:136 件)

海外文学・ミステリーなどが好きです。書評は小説が主になるはずです。

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