休蔵さん
レビュアー:
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博多の近くにかつてあった鎌倉時代の大規模山林寺院跡。大陸系の色合いが濃く、博多という土地柄を表しています。それが廃絶して、長きにわたって人知れず存在だったという。地道な調査・研究の成果です。
集落や古墳、寺院跡などなど、遺跡にはいろいろな種類がある。
集落は廃絶して埋没しているものばかりで、発掘調査が契機となり存在が明らかとなることが多い。
他方、古墳は大きく盛り上がっているため、その存在を把握しやすい。
それでは寺院跡はどうか。
寺院についてはいろいろあるようで、廃絶されたが文書から場所が把握できる場合や地上に礎石などが露出していることもあるし、完全に分からなくなっている場合もあるようだ。
本書が取り上げる首羅山遺跡は、近世の文書でちらほら登場するものの、その場所については完全に忘れされたもので、近年、地元の人たちの努力によって存在が確認されたものである。
首羅山遺跡は福岡県久山町に所在する。
貿易都市博多周縁の山中にひっそり眠っていたものであるが、希少な貿易陶磁器の破片が落ちていて、地元ではその存在が知られていた。
しかしながら、実態は不明。
そこで、久山町が調査のメスを入れたところ、平安時代末から鎌倉時代にかけての大陸系山林寺院という特殊な性格のものであることが明らかになっている。
鎌倉時代に廃絶した後は、開発の手が加わることもなく、当時の施設跡が地面にパックされて現在に伝わっている。
寺院の堂舎跡はもとより、庭園跡も残されていて興味深い。
かつては湧水が確認されていたそうだが、新幹線のトンネル工事で水道が切断されたらしく、水は絶たれてしまったとのこと。
遺物も各種の貿易陶磁器が多く見つかっており、その活動の一端を教えてくれる。
現在に蘇った首羅山遺跡は、そのまま誰も訪れない史跡として整備されることはなく、積極的な活用が図られているとのこと。
まずは、学校教育現場での活用がすごい。
総合的な学習として「わたしたちの首羅山遺跡」が年間30時間以上行われているというのだ。
毎年同じ内容を繰り返すのではなく、前年度までの学習内容を踏まえ、さらに最新の調査成果を踏まえて教材開発を行っているとのこと。
そして、学習内容を絵本にまとめて、子どもたちから町民に発信するという取り組みもあるそうだ。
町内の子どもたちの首羅山遺跡の認知度は、驚異の99パーセント!
大人たちも負けてはいない。
ボランティア団体久山町歴史文化勉強会を立ち上げ、月に1度町内や周辺の歴史や自然などの話題を持ち寄って発表する試みが行われているという。
また、一時途絶えてしまった首羅山の麓にある白山神社の獅子舞が復活したという。
1997年には「上久原白山宮獅子舞保存会」が立ち上げられ、毎年大晦日から新年にかけて年越しの獅子舞が奉納されているとか。
首羅山遺跡の認知度の高まりとともに獅子舞の見学者が増え、それへの対応として丸太の松明や竹灯籠を参道に設置し、幽玄な雰囲気の創出にも力を発揮しているそうだ。
遺跡の見学会も継続的に実施され、さらには首羅山ツキイチ登山会も実施しているとのこと。
見学会には全国から参加者が集い、多い時には400名にもなったそうである。
本書の最後には、「遺跡を守っていくのは、地域の力である」と記されていた。
単なる地域住民任せではなく、行政も地域に寄り添いながら、保護のあり方を模索しているそうだ。
地域の声に耳を傾け、地域を学ぶことを続けなければいけないともいう。
「遺跡を過去のものとしてではなく、いまにどのように結びついているのかを常に意識し、それをだれもがわかる言葉で表現する努力が大切」と綴っている。
地元の声から始まった首羅山遺跡の調査、保存、そして活用は行政主導ではなく、地域とともに歩んできたもので、これからもそうあり続けるようだ。
集落は廃絶して埋没しているものばかりで、発掘調査が契機となり存在が明らかとなることが多い。
他方、古墳は大きく盛り上がっているため、その存在を把握しやすい。
それでは寺院跡はどうか。
寺院についてはいろいろあるようで、廃絶されたが文書から場所が把握できる場合や地上に礎石などが露出していることもあるし、完全に分からなくなっている場合もあるようだ。
本書が取り上げる首羅山遺跡は、近世の文書でちらほら登場するものの、その場所については完全に忘れされたもので、近年、地元の人たちの努力によって存在が確認されたものである。
首羅山遺跡は福岡県久山町に所在する。
貿易都市博多周縁の山中にひっそり眠っていたものであるが、希少な貿易陶磁器の破片が落ちていて、地元ではその存在が知られていた。
しかしながら、実態は不明。
そこで、久山町が調査のメスを入れたところ、平安時代末から鎌倉時代にかけての大陸系山林寺院という特殊な性格のものであることが明らかになっている。
鎌倉時代に廃絶した後は、開発の手が加わることもなく、当時の施設跡が地面にパックされて現在に伝わっている。
寺院の堂舎跡はもとより、庭園跡も残されていて興味深い。
かつては湧水が確認されていたそうだが、新幹線のトンネル工事で水道が切断されたらしく、水は絶たれてしまったとのこと。
遺物も各種の貿易陶磁器が多く見つかっており、その活動の一端を教えてくれる。
現在に蘇った首羅山遺跡は、そのまま誰も訪れない史跡として整備されることはなく、積極的な活用が図られているとのこと。
まずは、学校教育現場での活用がすごい。
総合的な学習として「わたしたちの首羅山遺跡」が年間30時間以上行われているというのだ。
毎年同じ内容を繰り返すのではなく、前年度までの学習内容を踏まえ、さらに最新の調査成果を踏まえて教材開発を行っているとのこと。
そして、学習内容を絵本にまとめて、子どもたちから町民に発信するという取り組みもあるそうだ。
町内の子どもたちの首羅山遺跡の認知度は、驚異の99パーセント!
大人たちも負けてはいない。
ボランティア団体久山町歴史文化勉強会を立ち上げ、月に1度町内や周辺の歴史や自然などの話題を持ち寄って発表する試みが行われているという。
また、一時途絶えてしまった首羅山の麓にある白山神社の獅子舞が復活したという。
1997年には「上久原白山宮獅子舞保存会」が立ち上げられ、毎年大晦日から新年にかけて年越しの獅子舞が奉納されているとか。
首羅山遺跡の認知度の高まりとともに獅子舞の見学者が増え、それへの対応として丸太の松明や竹灯籠を参道に設置し、幽玄な雰囲気の創出にも力を発揮しているそうだ。
遺跡の見学会も継続的に実施され、さらには首羅山ツキイチ登山会も実施しているとのこと。
見学会には全国から参加者が集い、多い時には400名にもなったそうである。
本書の最後には、「遺跡を守っていくのは、地域の力である」と記されていた。
単なる地域住民任せではなく、行政も地域に寄り添いながら、保護のあり方を模索しているそうだ。
地域の声に耳を傾け、地域を学ぶことを続けなければいけないともいう。
「遺跡を過去のものとしてではなく、いまにどのように結びついているのかを常に意識し、それをだれもがわかる言葉で表現する努力が大切」と綴っている。
地元の声から始まった首羅山遺跡の調査、保存、そして活用は行政主導ではなく、地域とともに歩んできたもので、これからもそうあり続けるようだ。
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ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
それでも、まだ偏り気味。
いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい!
この書評へのコメント

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- ページ数:0
- ISBN:9784787720399
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