ウロボロスさん
レビュアー:
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読書会の課題本が『ライ麦畑でつかまえて』でした。野崎孝訳は既読でしたので今回は初読みの村上春樹訳で参加してみました。
異なる翻訳者を読み比べると非常に面白かったです。
一例を上げます。特徴のある人間の顔の容貌を二人の翻訳者は次のように訳します。
彼女は棒でも飲んだみたいにしゃっちょこばった海軍の将校を連れてたね。──野崎 孝訳
尻から火かき棒でも突っ込んだような顔の海軍の将校──村上春樹訳
シベリア抑留経験のある詩人石原吉郎の説話論的な「棒をのんだ話」を思わず想起しました。(笑)。
他にも頻発する「やれやれ」は、野崎訳ではたぶんなかったのではないかと思われました。(笑)。
読みやすさ、日本語の滑らかさからいうと村上春樹訳の方に軍配を上げたいと思いました。
コールフィールド家の四人兄弟の次男ホールデンが自ら全寮制のハイスクールを退学し、その顛末を「君」へむけて語るナラティブストーリーです。書かれた時期が朝鮮戦争のさなかであり、サリンジャー自身がノルマンディー上陸作戦にも従軍した経験をもち、戦争トラウマが微妙な影を落としているのがうかがえます。それは小説家であり、ハリウッドの脚本家である兄D.Bへのアンビバレントな描写(ハリウッドの悪魔に魂を売った有能な小説家)にあらわれ、冒頭で兄D.Bの短編小説
The Secret Goldfish『秘密の金魚』を絶賛する。D.Bはノルマンディー作戦に従軍した経験を持っていることから作者自身を投影している。これはそのまま『A Perfect Day for Bananafish』を彷彿する。
ホールデンの行動、言動は世間の常識では、評価され得ないが、そのピュアなイノセンスを極めることは、その象徴である亡くなった弟アリーや、妹フィービーへの切ないほどの愛情のあらわれであることが読み取れる。今回の再読で気付いたことは、セントラルパークの小さな湖で暮らすアヒルたちへの過剰と思える気遣いは、大自然の摂理の、生命への畏敬が考えられ、エコロジーへの慧眼なまなざしと捉えた。それにしても小道具の精緻で繊巧な組み立てにあらためて驚いた。赤毛のアリー、赤いハンティング帽子、ツバを後ろに被る、キャッチャーグローブ、詩、白血病、死…。そしてそのその赤い帽子はフィービーへと贈られる。読むたびにあらたな気づきを生む。戦争を直接描かない戦争小説であるという批評加藤典洋氏の言葉が頭を過ぎった。なぜなら冒頭のエピグラフに「母へ(村上訳)」「母に捧ぐ(野崎訳)」とあるが「父」はない。作品中でも両親のことは殆ど描かれない。尊敬するアントリーニ先生と修道女以外の大人(男)を全否定し、気に入らない嫌なクラスメートたちであるストラドレイターやアグリー、モーリスの奴でさえも最後には懐かしく思い出すのである。これは深読みすると、あの無意味な戦争を引き起こした自分たちの上の世代への異議申し立て、そして自分たち世代への真の連帯を暗喩しいると思われたからです。この小説も戦後80年に読むに値する作品であると思いました。
この村上春樹訳の中でもっとも感動した箇所を以下に引用して終わりとします。
『なかんずく君は発見することになるだろう。人間のなす様々な行為を目にして混乱し、怯え、あるいは吐き気さえもよおしたのは、君一人ではないんだということをね。(中略)君はそういう人々から学ぶことができる──もし君が望めばということだけどね。同じように、もし君に提供すべき何かができたなら、誰かがいつの日か君からその何かを学ぶことになるだろう。それは美しくも互恵的な仕組みなんだよ。それは歴史であり、詩なんだ』
《互恵的な仕組》は野崎訳では《相互援助》となっている。いやはや外国作品の異なる翻訳者の読み比べというのは実に面白いものです。
一例を上げます。特徴のある人間の顔の容貌を二人の翻訳者は次のように訳します。
彼女は棒でも飲んだみたいにしゃっちょこばった海軍の将校を連れてたね。──野崎 孝訳
尻から火かき棒でも突っ込んだような顔の海軍の将校──村上春樹訳
シベリア抑留経験のある詩人石原吉郎の説話論的な「棒をのんだ話」を思わず想起しました。(笑)。
他にも頻発する「やれやれ」は、野崎訳ではたぶんなかったのではないかと思われました。(笑)。
読みやすさ、日本語の滑らかさからいうと村上春樹訳の方に軍配を上げたいと思いました。
コールフィールド家の四人兄弟の次男ホールデンが自ら全寮制のハイスクールを退学し、その顛末を「君」へむけて語るナラティブストーリーです。書かれた時期が朝鮮戦争のさなかであり、サリンジャー自身がノルマンディー上陸作戦にも従軍した経験をもち、戦争トラウマが微妙な影を落としているのがうかがえます。それは小説家であり、ハリウッドの脚本家である兄D.Bへのアンビバレントな描写(ハリウッドの悪魔に魂を売った有能な小説家)にあらわれ、冒頭で兄D.Bの短編小説
The Secret Goldfish『秘密の金魚』を絶賛する。D.Bはノルマンディー作戦に従軍した経験を持っていることから作者自身を投影している。これはそのまま『A Perfect Day for Bananafish』を彷彿する。
ホールデンの行動、言動は世間の常識では、評価され得ないが、そのピュアなイノセンスを極めることは、その象徴である亡くなった弟アリーや、妹フィービーへの切ないほどの愛情のあらわれであることが読み取れる。今回の再読で気付いたことは、セントラルパークの小さな湖で暮らすアヒルたちへの過剰と思える気遣いは、大自然の摂理の、生命への畏敬が考えられ、エコロジーへの慧眼なまなざしと捉えた。それにしても小道具の精緻で繊巧な組み立てにあらためて驚いた。赤毛のアリー、赤いハンティング帽子、ツバを後ろに被る、キャッチャーグローブ、詩、白血病、死…。そしてそのその赤い帽子はフィービーへと贈られる。読むたびにあらたな気づきを生む。戦争を直接描かない戦争小説であるという批評加藤典洋氏の言葉が頭を過ぎった。なぜなら冒頭のエピグラフに「母へ(村上訳)」「母に捧ぐ(野崎訳)」とあるが「父」はない。作品中でも両親のことは殆ど描かれない。尊敬するアントリーニ先生と修道女以外の大人(男)を全否定し、気に入らない嫌なクラスメートたちであるストラドレイターやアグリー、モーリスの奴でさえも最後には懐かしく思い出すのである。これは深読みすると、あの無意味な戦争を引き起こした自分たちの上の世代への異議申し立て、そして自分たち世代への真の連帯を暗喩しいると思われたからです。この小説も戦後80年に読むに値する作品であると思いました。
この村上春樹訳の中でもっとも感動した箇所を以下に引用して終わりとします。
『なかんずく君は発見することになるだろう。人間のなす様々な行為を目にして混乱し、怯え、あるいは吐き気さえもよおしたのは、君一人ではないんだということをね。(中略)君はそういう人々から学ぶことができる──もし君が望めばということだけどね。同じように、もし君に提供すべき何かができたなら、誰かがいつの日か君からその何かを学ぶことになるだろう。それは美しくも互恵的な仕組みなんだよ。それは歴史であり、詩なんだ』
《互恵的な仕組》は野崎訳では《相互援助》となっている。いやはや外国作品の異なる翻訳者の読み比べというのは実に面白いものです。
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これまで読んできた作家。村上春樹、丸山健二、中上健次、笠井潔、桐山襲、五木寛之、大江健三郎、松本清張、伊坂幸太郎
堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。
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- 出版社:白水社
- ページ数:353
- ISBN:9784560047644
- 発売日:2003年04月11日
- 価格:1680円
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