Yasuhiroさん
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三島由紀夫流美学と思索の総決算。全身全霊を傾けて「究極の小説」を書きあげた三島は、その脱稿を以て書と現実双方で自らを葬った。

天才三島由紀夫の「豊饒の海」四部作です。自身の解説によればこの小説は「浜松中納言物語」を典拠とした夢と転生の物語で
『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』
の全4巻から成ります。三島が最後の最後に目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」であり、一年も前倒しして書きあげた最終稿の入稿日に彼は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、血を吐くような檄が虚空に消えていくのを見届けた後、割腹自殺しました。
数多くの評論がこの事件に言及せざるを得ないのはやむを得ないところですが、本作が三島流美学と思索の極致であり、気分が乗る乗らないで結構作品の出来にムラのあった彼が、最後の最後に全身全霊を傾けた作品であることだけは間違いない、と思います。
敢えて四巻を比較すると、絶対に失敗できないというプレッシャーの下で書きあげた第一巻「春の雪」は本当に天才のなせる業としか言いようがないほどの出来栄えで、昭和文学史に燦然と輝く傑作です。
三島事件を彷彿とさせる第二巻「奔馬」も小説としての出来は文句無し、この二作は川端康成も絶賛しています。
それに比して第三巻「暁の寺」は前半理が勝ち過ぎ、後半俗に堕ち過ぎる感があり、第四巻「天人五衰」は彼自身の気持ちが先走り過ぎて拙速の感が否めず、小説としての出来はやや落ちると思います。あくまでも一、二巻に比してのことですが。
一方この四巻を書き進むにつれ小説世界と現実の境界が三島の中で段々と消失していったのではないかと思えるほど、彼がこの作品に没頭していることは読んでいてヒシヒシと感じられました。
唯識哲学の小説世界に自らを送り込み、小説内で考えに考え抜いた究極の世界観として、刹那に消滅しつつ持続していく阿頼耶識(アーラヤ識)に辿り着いた以上、もう思い残すことなどないのだから早く始末をつけようという思いがあっての最終稿の一年前倒しがあったのではないか、という気さえします。
この作品に即して言えば彼は、二十歳でその生を終え別の人間に転生する、
「運命の人間」
でありたかった。それは
・「春の海」における、背徳の恋によって身を滅ぼすことを選んだ勲功華族の息子松枝清顕であり、
・「奔馬」における、憂国の志をもって計画した昭和神風連の乱が未遂に終わってもなお死に場所が用意されていた一途な少年飯沼勲であり、
・「暁の寺」における、豊満な肉体をもって同性愛に溺れ、その肉体のままこの世から消えるタイの皇族ジン・ジャン(月光姫)
でした。
実際エリート家庭に育ちもやしっ子、過保護のまま学習院から東大へと栄達の道を歩んだ三島と松枝清顕は相似形をなし、飯沼勲の憂国の思いの強さと割腹死は三島の最期そのものです。
とは言え彼も転生の運命を持つ人間ではあり得ない。むしろ、この三人を見守り続けた「観察者」、輪廻思想の「認識者」であった本多繁邦、第四巻の主人公で、ただの自意識過剰人間に過ぎず最後には大五衰してしまう安永透、この二人の常人に自身を投影しています。そして彼はこの二人に容赦ない苛烈な運命を与えるのです。
本多繁邦はあれだけ松枝清顕や飯沼勲に尽くし、唯識哲学を突き詰め、インド旅行において悟達し、巨万の富を得ながらも、ひたすら醜く老いていき、人生の最終局面において
「八十歳の元裁判官の覗き屋」
という惨めなレッテルを貼られてしまいます。まさしく
のです。
まさしくこの点において三島は、「平岡公威」という名前の「普通の」人間が、普通に生きて普通に「醜く老いる」ことには耐えられないという思いがあったのでしょう。
一方で自分は天才であり選良であると自惚れ、本多を破滅させて自分がその莫大な財産を手に入れるつもりであった安永透は、本多の盟友である慶子にその自惚れを粉砕されてしまいます。
何と苛烈で明晰で残酷な自己洞察、自己批判であることか。これだけのことを書いてなお自決を選んだ三島由紀夫という男は、慶子に言わせれば
という事になります。これはあくまで余談ですが、引用した慶子の台詞に親交のあった美輪明宏の声を被せると妙にリアルです。
そしてこの長い物語の最後、死期を悟った本多は松枝清顕の運命の人、出家して門跡となった聡子の寺を訪れ、六十年ぶりに再会します。しかし、聡子は思いもかけぬ言葉を本多に投げかけるのです。
本多は問い返します、それなら勲もジン・ジャンも 、ひょっとしたら本多自身もいなかったことになるのではないかと。聡子は答える。
この畢生の名台詞を残し、すべては崩れ去り、この長大な物語は終焉を告げます。
小説内世界を生き場所と定めた三島がその世界を終わらせた以上、とるべき道は一つしかなかったことは、今にして思えば容易に想像がつきます。
しかし彼が自決した時私はまだ子供で、その意味はわからないままに強い衝撃を受けました。その意味を求めて学生時代この小説を読んだ時、その余りにも静かな崩れ去り方と、それを書いた翌日の
という激しい檄の落差が理解できず随分と悩みました。彼の享年と同じ年になったらまた読もうと思っていたものの忙しさにかまけて随分遅れを取ってしまいましたが、本多ほどに老いる前に読めたのはよかったと思います。
俗な言い方になりますが、「豊饒の海」は美意識の塊であった三島由紀夫らしい遺書です。
平岡公威(hiraoka kimitake):大正14年1月14日生、昭和45年11月25日死亡、享年45歳、ペンネーム三島由紀夫。遺作「豊饒の海」。合掌。
『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』
の全4巻から成ります。三島が最後の最後に目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」であり、一年も前倒しして書きあげた最終稿の入稿日に彼は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、血を吐くような檄が虚空に消えていくのを見届けた後、割腹自殺しました。
数多くの評論がこの事件に言及せざるを得ないのはやむを得ないところですが、本作が三島流美学と思索の極致であり、気分が乗る乗らないで結構作品の出来にムラのあった彼が、最後の最後に全身全霊を傾けた作品であることだけは間違いない、と思います。
敢えて四巻を比較すると、絶対に失敗できないというプレッシャーの下で書きあげた第一巻「春の雪」は本当に天才のなせる業としか言いようがないほどの出来栄えで、昭和文学史に燦然と輝く傑作です。
三島事件を彷彿とさせる第二巻「奔馬」も小説としての出来は文句無し、この二作は川端康成も絶賛しています。
それに比して第三巻「暁の寺」は前半理が勝ち過ぎ、後半俗に堕ち過ぎる感があり、第四巻「天人五衰」は彼自身の気持ちが先走り過ぎて拙速の感が否めず、小説としての出来はやや落ちると思います。あくまでも一、二巻に比してのことですが。
一方この四巻を書き進むにつれ小説世界と現実の境界が三島の中で段々と消失していったのではないかと思えるほど、彼がこの作品に没頭していることは読んでいてヒシヒシと感じられました。
唯識哲学の小説世界に自らを送り込み、小説内で考えに考え抜いた究極の世界観として、刹那に消滅しつつ持続していく阿頼耶識(アーラヤ識)に辿り着いた以上、もう思い残すことなどないのだから早く始末をつけようという思いがあっての最終稿の一年前倒しがあったのではないか、という気さえします。
この作品に即して言えば彼は、二十歳でその生を終え別の人間に転生する、
「運命の人間」
でありたかった。それは
・「春の海」における、背徳の恋によって身を滅ぼすことを選んだ勲功華族の息子松枝清顕であり、
・「奔馬」における、憂国の志をもって計画した昭和神風連の乱が未遂に終わってもなお死に場所が用意されていた一途な少年飯沼勲であり、
・「暁の寺」における、豊満な肉体をもって同性愛に溺れ、その肉体のままこの世から消えるタイの皇族ジン・ジャン(月光姫)
でした。
実際エリート家庭に育ちもやしっ子、過保護のまま学習院から東大へと栄達の道を歩んだ三島と松枝清顕は相似形をなし、飯沼勲の憂国の思いの強さと割腹死は三島の最期そのものです。
とは言え彼も転生の運命を持つ人間ではあり得ない。むしろ、この三人を見守り続けた「観察者」、輪廻思想の「認識者」であった本多繁邦、第四巻の主人公で、ただの自意識過剰人間に過ぎず最後には大五衰してしまう安永透、この二人の常人に自身を投影しています。そして彼はこの二人に容赦ない苛烈な運命を与えるのです。
本多繁邦はあれだけ松枝清顕や飯沼勲に尽くし、唯識哲学を突き詰め、インド旅行において悟達し、巨万の富を得ながらも、ひたすら醜く老いていき、人生の最終局面において
「八十歳の元裁判官の覗き屋」
という惨めなレッテルを貼られてしまいます。まさしく
今にして本多は、生きることは老いることであり、老いることは生きることだった、と思い当たった。
のです。
まさしくこの点において三島は、「平岡公威」という名前の「普通の」人間が、普通に生きて普通に「醜く老いる」ことには耐えられないという思いがあったのでしょう。
一方で自分は天才であり選良であると自惚れ、本多を破滅させて自分がその莫大な財産を手に入れるつもりであった安永透は、本多の盟友である慶子にその自惚れを粉砕されてしまいます。
「 松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼勲は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました。あなたは何につかまれていたの?自分は人とちがうという、何の根拠もない認識だけでしょう?(中略)
あなたには運命なんかなかったのですから。美しい死なんかある筈もなかったのですから。あなたが清顕さんや、勲さんや、ジン・ジャンになれる筈はありません。あなたがなれるのは陰気な相続人にだけ。」
何と苛烈で明晰で残酷な自己洞察、自己批判であることか。これだけのことを書いてなお自決を選んだ三島由紀夫という男は、慶子に言わせれば
「自尊心だけは人一倍強い子だから、自分が天才だという事を証明するために死んだんでしょう」
という事になります。これはあくまで余談ですが、引用した慶子の台詞に親交のあった美輪明宏の声を被せると妙にリアルです。
そしてこの長い物語の最後、死期を悟った本多は松枝清顕の運命の人、出家して門跡となった聡子の寺を訪れ、六十年ぶりに再会します。しかし、聡子は思いもかけぬ言葉を本多に投げかけるのです。
「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。・・・・・」
「いいえ、本多さん、私は俗生で受けた恩愛は何一つ忘れはしません。しかし松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんな方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?・・・・・」
本多は問い返します、それなら勲もジン・ジャンも 、ひょっとしたら本多自身もいなかったことになるのではないかと。聡子は答える。
「それも心々(こころごころ)ですさかい」
この畢生の名台詞を残し、すべては崩れ去り、この長大な物語は終焉を告げます。
小説内世界を生き場所と定めた三島がその世界を終わらせた以上、とるべき道は一つしかなかったことは、今にして思えば容易に想像がつきます。
しかし彼が自決した時私はまだ子供で、その意味はわからないままに強い衝撃を受けました。その意味を求めて学生時代この小説を読んだ時、その余りにも静かな崩れ去り方と、それを書いた翌日の
「諸君は武士だろう。・・・諸君の中で、一人でも、俺と一緒に起とうとするものはいないのか!」
という激しい檄の落差が理解できず随分と悩みました。彼の享年と同じ年になったらまた読もうと思っていたものの忙しさにかまけて随分遅れを取ってしまいましたが、本多ほどに老いる前に読めたのはよかったと思います。
俗な言い方になりますが、「豊饒の海」は美意識の塊であった三島由紀夫らしい遺書です。
平岡公威(hiraoka kimitake):大正14年1月14日生、昭和45年11月25日死亡、享年45歳、ペンネーム三島由紀夫。遺作「豊饒の海」。合掌。
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馬鹿馬鹿しくなったので退会しました。2021/10/8
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