shawjinnさん
レビュアー:
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『大川の水』と『今昔物語集』をつなぐもの
角川文庫夏フェア2025に挑戦!参加レビューです。
本書には、芥川龍之介の最初期の作品群が収録されている。
芥川龍之介の作品は、一高時代に書かれた『大川の水』の時点で、すでに見切りと、それに伴う断念が完成していて、彼の書く小説のどの部分にも、作者の計算が行き届いたスタイルになっている───このように評されることがある。
当時の流行りである自然主義文学が目指していた、技巧を排した公平無視な視点というものは、結局のところ、単なる個人の印象にすぎない。そのようにとらえたうえで、ならばと、人生について難解な部分など何ひとつないといった装いで俯瞰(ふかん)し、あらゆる細部が、くまなく見えている───そういう見えすぎる眼の傲慢(ごうまん)でいこうという決意を体現するスタイルであるといえるかもしれない。
それが、『羅生門』『鼻』『芋粥』という、歴史の衣裳をまとった現代小説につながっていく。これらの源流である『大川の水』では、決意が行き届きすぎていて、《生活感情の生々しい息吹きを排した無と死の寂寥(せきりょう)に至っている》。そういう記述が巻末評にあった。いや、そうではないんじゃないかなあと思ったことを、以下で説明していく。なお、大川というのは、隅田川の異称である。
隅田川は、もとはといえば入間川の下流域である。治水のために、江戸時代に荒川を付け替えた(!)ので、荒川の下流になった。それにともない、入間川は荒川の支流になった。その後の、明治43年(1910年)に起きた大洪水の被害が甚大だったので、翌明治44年(1911年)、更なる洪水対応能力向上のために、荒川放水路の掘削が着工された。大正13年(1924年)に通水開始、昭和5年(1930年)に完成。
昭和39年(1964年)の河川法改正により、荒川放水路が荒川の本流と定められたので、それに合わせて、江戸時代以来の荒川の旧本流は隅田川と定められた。江戸・東京の河川には、人手がそこかしこに入っているのだけれども、以上でみてきたように、隅田川の流路は古くからの自然河川である。
ただ、荒川と隅田川が分岐する地点にある岩淵水門は、危機的な増水時には閉じられて、荒川よりも川幅の狭い隅田川へ水が流れないようになる。また、大雨のときには、今でも未処理の下水が隅田川へと流れこむ。
芥川龍之介が親しく思い出して、限りないゆかしさを感じている、嗅ぐともなく嗅いだ大川の水のにおいとは、生活排水や工場排水のにおいなのだ。
さまざまな謡曲や浄瑠璃や物語の舞台となり、絶えず海と交通する船が行き交う大川。淡水と潮水とが交錯する大河の水は、冷ややかな青に、濁った黄の暖かみを交えていて、それが、どことなくヒューマナイズされた親しさと、ライフライクな懐かしさを帯びているのは、自然と人工の交錯点だからなのであろう。見えすぎる傲慢(ごうまん)な眼のやり場を、このあたりに置いているのは、とても好ましく思える。
目のまえにある日常生活の生々しさから一旦切り離されたからといって、それが即座に、生活の息吹きを排した無と死の寂寥(せきりょう)につながるわけではない。むしろ、このくらいの距離感を保ったほうが良いのではないかなあ。つまり、ただの川を眺めるという行為から、そこに息吹く人間が日常的にいとなむ生や死、善や悪を洞察するスタイルである。
ともあれ、『羅生門』や『鼻』や『芋粥』の典拠である『今昔物語集』とは、『大川の水』に登場する大川なのだと思った。大川は、人がつくった物語と同程度には作為的だし、時間フィルタを超えて生き残った古典と同程度には自然なのだから。その背後にある万物の息づかいを感じ取ろう。
芥川の作品は、群によって視点の集合体になるので、色々まとめて読むのがおすすめです。
本書には、芥川龍之介の最初期の作品群が収録されている。
芥川龍之介の作品は、一高時代に書かれた『大川の水』の時点で、すでに見切りと、それに伴う断念が完成していて、彼の書く小説のどの部分にも、作者の計算が行き届いたスタイルになっている───このように評されることがある。
当時の流行りである自然主義文学が目指していた、技巧を排した公平無視な視点というものは、結局のところ、単なる個人の印象にすぎない。そのようにとらえたうえで、ならばと、人生について難解な部分など何ひとつないといった装いで俯瞰(ふかん)し、あらゆる細部が、くまなく見えている───そういう見えすぎる眼の傲慢(ごうまん)でいこうという決意を体現するスタイルであるといえるかもしれない。
それが、『羅生門』『鼻』『芋粥』という、歴史の衣裳をまとった現代小説につながっていく。これらの源流である『大川の水』では、決意が行き届きすぎていて、《生活感情の生々しい息吹きを排した無と死の寂寥(せきりょう)に至っている》。そういう記述が巻末評にあった。いや、そうではないんじゃないかなあと思ったことを、以下で説明していく。なお、大川というのは、隅田川の異称である。
隅田川は、もとはといえば入間川の下流域である。治水のために、江戸時代に荒川を付け替えた(!)ので、荒川の下流になった。それにともない、入間川は荒川の支流になった。その後の、明治43年(1910年)に起きた大洪水の被害が甚大だったので、翌明治44年(1911年)、更なる洪水対応能力向上のために、荒川放水路の掘削が着工された。大正13年(1924年)に通水開始、昭和5年(1930年)に完成。
昭和39年(1964年)の河川法改正により、荒川放水路が荒川の本流と定められたので、それに合わせて、江戸時代以来の荒川の旧本流は隅田川と定められた。江戸・東京の河川には、人手がそこかしこに入っているのだけれども、以上でみてきたように、隅田川の流路は古くからの自然河川である。
ただ、荒川と隅田川が分岐する地点にある岩淵水門は、危機的な増水時には閉じられて、荒川よりも川幅の狭い隅田川へ水が流れないようになる。また、大雨のときには、今でも未処理の下水が隅田川へと流れこむ。
芥川龍之介が親しく思い出して、限りないゆかしさを感じている、嗅ぐともなく嗅いだ大川の水のにおいとは、生活排水や工場排水のにおいなのだ。
さまざまな謡曲や浄瑠璃や物語の舞台となり、絶えず海と交通する船が行き交う大川。淡水と潮水とが交錯する大河の水は、冷ややかな青に、濁った黄の暖かみを交えていて、それが、どことなくヒューマナイズされた親しさと、ライフライクな懐かしさを帯びているのは、自然と人工の交錯点だからなのであろう。見えすぎる傲慢(ごうまん)な眼のやり場を、このあたりに置いているのは、とても好ましく思える。
目のまえにある日常生活の生々しさから一旦切り離されたからといって、それが即座に、生活の息吹きを排した無と死の寂寥(せきりょう)につながるわけではない。むしろ、このくらいの距離感を保ったほうが良いのではないかなあ。つまり、ただの川を眺めるという行為から、そこに息吹く人間が日常的にいとなむ生や死、善や悪を洞察するスタイルである。
ともあれ、『羅生門』や『鼻』や『芋粥』の典拠である『今昔物語集』とは、『大川の水』に登場する大川なのだと思った。大川は、人がつくった物語と同程度には作為的だし、時間フィルタを超えて生き残った古典と同程度には自然なのだから。その背後にある万物の息づかいを感じ取ろう。
ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、次第に暗くなる夕空の薄明かりとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷(ふなばた)に肘をついて、もう靄(もや)の下りかけた、薄暮の川の水面を、何ということもなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、恐らく終世忘れることはできないであろう。
芥川の作品は、群によって視点の集合体になるので、色々まとめて読むのがおすすめです。
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読んでいて面白い~と思った本の読書記録です。
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- 出版社:KADOKAWA
- ページ数:191
- ISBN:B01D43MON0
- 発売日:2016年03月25日
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