ホセさん
レビュアー:
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自伝的エッセイ、と唱っているがそれは半分位で、
残り半分は小説を書くことへのヒントが惜しげもなく書かれている。
123 村上春樹 「職業としての小説家」
自伝的エッセイ、と唱っているがそれは半分位で、
残り半分は小説を書くことへのヒントが惜しげもなく書かれている。
なんで自分が村上春樹を好きか、またなんで自分はそれでも村上春樹に心底のめり込めはしないのか、
というところがよく分かり有意義だった♪♪
一冊だけ、もしくは自分の樹の枝を切り落とすまでの小説家なら、恐らくかなりの人がなれるよ、と誘っている。
でもね、プロとして長い事やり続けるのはなかなかタイヘンでね、例えば・・・・と続いていく。
だが、御苦労だけではなく戦略を持って突き進んでいった事は、New Yorkerに連載されるまでのアメリカのくだりで、よく伝わってきた。興奮した。
自分の意識の中にあるものを「素」に(マテリアルと称している)、小説家は物語として表現するんだけど、
その素が普通ではない体験だったりと実体験を伴なうタイプは、ヘミングウェイや開高健のように、外へ外へと強い刺激を求めて出続けていかざるを得ない。
もしくは、枝を切り落とされて枯れてしまう、と。
村上春樹は、その「素」は、そんなに仰々しくなくていいと言い切っている。
大事なのは、その「素」を、自分の心の深い奥底で(危険なもの・惑わすものに注意しながら)しっかりと掴まえて、
そしてそれらを丁寧に磨いて、組み合わせて(複数使うんだッ!?)、物語に繋げていく、
連綿とした思考と作業の繰り返しだと。
その「素」が、十二分に探しだされたのならば、例え自分の心の中のものでも、より普遍的なものだろう。
だから我々は彼の物語に対して、「俺にもそれあるよ」「私にもそうできるかも」と共感でき、その普遍性は、外国の人の心も容易く巻き込んでいくんだ。
私的な小説だよと村上春樹はよく謙遜してきたが、なかなかの狸ぶりであって、
突き詰めた「私」の中には、強い「公」のオーラを持つ原石が転がっている事を、彼は間違いなく知っている。
村上春樹がそうした「素」だけでなく、文体に強い拘りを持っている事も良く分かった。
音楽のように聞かせたいようだ。
こうした強い職人的な面を見せてもらって、彼に惹かれる理由が分かった。
でも、時に「自分の体を切り落とすように」書かれた小説や、
「強い信念に基づいて、迫ってくる小説」にも、魅力を感じてしまうなぁ。
どれもいいんだよね。
書き方のテクニック、というほど細かくないが、アイディア(の考え方)にも感心した。
・オリジナリティが欲しいなら、「自分に何かを加算する」よりむしろ「自分から何かをマイナス」する作業が必要なようだ。
・何かを自由に表現したいのなら、「自分が何を求めているか」よりむしろ「何かを求めていない自分とはどんなものか?」という事をヴィジュアライズしてみたら?
・「有効に組み合わされた脈絡のない記憶」は、それ自体が直観と予見性を持ち、正しい物語の原動力となるものだ。
・書くのは慎重でなくて良いが、書き直しには十分時間をとってゴリゴリとそぎ落とし、追加すべし。
そして、読者は何度か同じ言葉を目にする事になる(四度だったかな)。
きっと彼のモットーなんだろう。
俺にはまだ残っているだろうか?
「健全な野心を失わないこと」
(2015/11/9)
PS河合隼雄氏と村上春樹の交流の訳も知る事ができた。仲良しになったのは必然だ。
自伝的エッセイ、と唱っているがそれは半分位で、
残り半分は小説を書くことへのヒントが惜しげもなく書かれている。
なんで自分が村上春樹を好きか、またなんで自分はそれでも村上春樹に心底のめり込めはしないのか、
というところがよく分かり有意義だった♪♪
一冊だけ、もしくは自分の樹の枝を切り落とすまでの小説家なら、恐らくかなりの人がなれるよ、と誘っている。
でもね、プロとして長い事やり続けるのはなかなかタイヘンでね、例えば・・・・と続いていく。
だが、御苦労だけではなく戦略を持って突き進んでいった事は、New Yorkerに連載されるまでのアメリカのくだりで、よく伝わってきた。興奮した。
自分の意識の中にあるものを「素」に(マテリアルと称している)、小説家は物語として表現するんだけど、
その素が普通ではない体験だったりと実体験を伴なうタイプは、ヘミングウェイや開高健のように、外へ外へと強い刺激を求めて出続けていかざるを得ない。
もしくは、枝を切り落とされて枯れてしまう、と。
村上春樹は、その「素」は、そんなに仰々しくなくていいと言い切っている。
大事なのは、その「素」を、自分の心の深い奥底で(危険なもの・惑わすものに注意しながら)しっかりと掴まえて、
そしてそれらを丁寧に磨いて、組み合わせて(複数使うんだッ!?)、物語に繋げていく、
連綿とした思考と作業の繰り返しだと。
その「素」が、十二分に探しだされたのならば、例え自分の心の中のものでも、より普遍的なものだろう。
だから我々は彼の物語に対して、「俺にもそれあるよ」「私にもそうできるかも」と共感でき、その普遍性は、外国の人の心も容易く巻き込んでいくんだ。
私的な小説だよと村上春樹はよく謙遜してきたが、なかなかの狸ぶりであって、
突き詰めた「私」の中には、強い「公」のオーラを持つ原石が転がっている事を、彼は間違いなく知っている。
村上春樹がそうした「素」だけでなく、文体に強い拘りを持っている事も良く分かった。
音楽のように聞かせたいようだ。
こうした強い職人的な面を見せてもらって、彼に惹かれる理由が分かった。
でも、時に「自分の体を切り落とすように」書かれた小説や、
「強い信念に基づいて、迫ってくる小説」にも、魅力を感じてしまうなぁ。
どれもいいんだよね。
書き方のテクニック、というほど細かくないが、アイディア(の考え方)にも感心した。
・オリジナリティが欲しいなら、「自分に何かを加算する」よりむしろ「自分から何かをマイナス」する作業が必要なようだ。
・何かを自由に表現したいのなら、「自分が何を求めているか」よりむしろ「何かを求めていない自分とはどんなものか?」という事をヴィジュアライズしてみたら?
・「有効に組み合わされた脈絡のない記憶」は、それ自体が直観と予見性を持ち、正しい物語の原動力となるものだ。
・書くのは慎重でなくて良いが、書き直しには十分時間をとってゴリゴリとそぎ落とし、追加すべし。
そして、読者は何度か同じ言葉を目にする事になる(四度だったかな)。
きっと彼のモットーなんだろう。
俺にはまだ残っているだろうか?
「健全な野心を失わないこと」
(2015/11/9)
PS河合隼雄氏と村上春樹の交流の訳も知る事ができた。仲良しになったのは必然だ。
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語りかける書評ブログ「人生は短く、読むべき本は多い」からの転記になります。
殆どが小説で、児童書、マンガ、新書が少々です。
評点やジャンルはつけないこととします。
ブログは「今はなかなか会う機会がとれない、本読みの友人たちへ語る」調子を心がけています。
従い、私の記憶や思い出が入り込み、エッセイ調にもなっています。
主要六紙の書評や好きな作家へのインタビュー、注目している文学賞の受賞や出版各社PR誌の書きっぷりなどから、自分なりの法則を作って、新しい作家を積極的に選んでいます(好きな作家へのインタビュー、から広げる手法は確度がとても高く、お勧めします)。
また、著作で前向きに感じられるところを、取り上げていくように心がけています。
「推し」の度合いは、幾つか本文を読んで頂ければわかるように、仕組んでいる積りです。
PS 1965年生まれ。働いています。
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- ページ数:341
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