ぽんきちさん
レビュアー:
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後天性サヴァン症候群とともに生きる
『日経サイエンス 2015年 02月号』の特集は「後天的な天才」と題されるものだった。その中に、生まれつきではなく、頭部に外傷を受けたことにより、特殊な天才的な能力が目覚めた人々=後天性サヴァン症候群の記事があった。本書はこの記事中にも取り上げられていた、ジェイソン・パジェットが、ライターであるモリーン・シーバーグの助けを借りて、その稀有な体験談を語る本である。
ジェイソンは、ある事件に遭うまで、どちらかといえば、刹那的で享楽的な毎日を送る、ごく普通の青年だった。遊び友だちも多く、昼は家業を手伝い、夜は友人と飲み歩き遊び歩いていた。学校に通っていた頃は、数学への興味などほとんどなく、「こんなものを勉強して何の役に立つんですか」と教師に聞くような生徒だった。
31歳のある夜、友人からの誘いに意気揚々と出かけた彼は、ふくらんだ財布に目を付けられ、暗い小道で悪党に激しく投打された。病院で検査を受け、激しい脳震盪と打撲と診断された。
彼が自らの大きな異変に気づくまで、さほどの時間はかからなかった。暴力的な事件により、想像に難くないが、PTSDを負い、人付き合いを避けるようになった。だが、異変はそれだけではなかった。周囲のものが突然、幾何学的な図形として意味を持ち始め、あらゆる形から光が放射されているように見えだしたのである。
数学的な共感覚の目覚めだった。
彼は、引きこもり生活をしつつ、自分に見えるようになった絵を懸命に描き起こし始める。
やがて彼はその図形を通して、おそるおそる再び外の世界と関わりを持つようになっていくのである。数学系の大学という、以前の彼からはまったく予測もつかない場所をきっかけとして。
まったく違う人物に生まれ変わったかのような彼の「その後」の人生は決して平坦ではない。後遺症に悩まされ、幾度となく傷つき、新たに得た才能を制御できずに苦しむ。
しかし、困難な中でも少しずつ世界とまた交わり、数学を学ぶ人々や他の共感覚者、脳研究者などとつながっていく姿は感動的である。
彼は世界とつながり直す途中で、信頼に足る伴侶を得て、結婚もしている。
本書は共感覚や数学について専門的に語ろうとしているわけではない。
むしろ、人生において大きな変化を体験し、傷を負いながら、なおそれを乗り越えようとしている人の闘いの記録としての側面が大きい。その意味において、本書は普遍的な物語と言えるだろうし、専門用語が飛び交う読みにくい本ではない。
但し、その分、共感覚とはどういうものか、あるいはサヴァンとは何かを知りたい向きには不満も残るだろう。ジェイソンの描く図形が、どの程度数学的に意味があるのかというのもわかりにくい。アート作品としても驚嘆すべきものであるように見えるが、例えばフラクタルとして、例えば円周率πを表すものとして、彼の描く図形がどれほど革新的で本質を突いているのか、数学者がどう捉えるのかの裏付けに関しては、本書では十分には触れられておらず、少し隔靴掻痒な感じが残る。
とはいえ、本書を読んでいると脳の働きの不思議さに打たれる。また、人とは、体とはいかにもろいものであるかと思う一方で、その強靱さにも驚かされるのだ。
ジェイソンも、一歩間違えば、社会生活が不能になるような重篤な障害を負っていてもおかしくなかった。映画「レインマン」のモデルと言われるキム・ピークは驚くほどの記憶力で9000冊もの本を暗記することが出来た一方、自らの靴の紐すら結べなかった。特殊な才能を手に入れつつ、その能力を人に伝えることができる、非常に微妙なバランスをジェイソンは保っている。
サヴァンや共感覚とともに生きていくとはどういうものか、その一端を感じさせ、脳の仕組みの複雑さに触れる1冊である。
*You tubeに、ジェイソンの描く図形がアップされています。例えばこれ。
*『日経サイエンス 2015年 02月号』の表紙は、ジェイソンと彼の図形です。
ジェイソンは、ある事件に遭うまで、どちらかといえば、刹那的で享楽的な毎日を送る、ごく普通の青年だった。遊び友だちも多く、昼は家業を手伝い、夜は友人と飲み歩き遊び歩いていた。学校に通っていた頃は、数学への興味などほとんどなく、「こんなものを勉強して何の役に立つんですか」と教師に聞くような生徒だった。
31歳のある夜、友人からの誘いに意気揚々と出かけた彼は、ふくらんだ財布に目を付けられ、暗い小道で悪党に激しく投打された。病院で検査を受け、激しい脳震盪と打撲と診断された。
彼が自らの大きな異変に気づくまで、さほどの時間はかからなかった。暴力的な事件により、想像に難くないが、PTSDを負い、人付き合いを避けるようになった。だが、異変はそれだけではなかった。周囲のものが突然、幾何学的な図形として意味を持ち始め、あらゆる形から光が放射されているように見えだしたのである。
数学的な共感覚の目覚めだった。
彼は、引きこもり生活をしつつ、自分に見えるようになった絵を懸命に描き起こし始める。
やがて彼はその図形を通して、おそるおそる再び外の世界と関わりを持つようになっていくのである。数学系の大学という、以前の彼からはまったく予測もつかない場所をきっかけとして。
まったく違う人物に生まれ変わったかのような彼の「その後」の人生は決して平坦ではない。後遺症に悩まされ、幾度となく傷つき、新たに得た才能を制御できずに苦しむ。
しかし、困難な中でも少しずつ世界とまた交わり、数学を学ぶ人々や他の共感覚者、脳研究者などとつながっていく姿は感動的である。
彼は世界とつながり直す途中で、信頼に足る伴侶を得て、結婚もしている。
本書は共感覚や数学について専門的に語ろうとしているわけではない。
むしろ、人生において大きな変化を体験し、傷を負いながら、なおそれを乗り越えようとしている人の闘いの記録としての側面が大きい。その意味において、本書は普遍的な物語と言えるだろうし、専門用語が飛び交う読みにくい本ではない。
但し、その分、共感覚とはどういうものか、あるいはサヴァンとは何かを知りたい向きには不満も残るだろう。ジェイソンの描く図形が、どの程度数学的に意味があるのかというのもわかりにくい。アート作品としても驚嘆すべきものであるように見えるが、例えばフラクタルとして、例えば円周率πを表すものとして、彼の描く図形がどれほど革新的で本質を突いているのか、数学者がどう捉えるのかの裏付けに関しては、本書では十分には触れられておらず、少し隔靴掻痒な感じが残る。
とはいえ、本書を読んでいると脳の働きの不思議さに打たれる。また、人とは、体とはいかにもろいものであるかと思う一方で、その強靱さにも驚かされるのだ。
ジェイソンも、一歩間違えば、社会生活が不能になるような重篤な障害を負っていてもおかしくなかった。映画「レインマン」のモデルと言われるキム・ピークは驚くほどの記憶力で9000冊もの本を暗記することが出来た一方、自らの靴の紐すら結べなかった。特殊な才能を手に入れつつ、その能力を人に伝えることができる、非常に微妙なバランスをジェイソンは保っている。
サヴァンや共感覚とともに生きていくとはどういうものか、その一端を感じさせ、脳の仕組みの複雑さに触れる1冊である。
*You tubeに、ジェイソンの描く図形がアップされています。例えばこれ。
*『日経サイエンス 2015年 02月号』の表紙は、ジェイソンと彼の図形です。
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分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)、ひよこ(ニワトリ化しつつある)4匹を飼っています。
*能はまったくの素人なのですが、「対訳でたのしむ」シリーズ(檜書店)で主な演目について学習してきました。既刊分は終了したので、続巻が出たらまた読もうと思います。それとは別に、もう少し能関連の本も読んでみたいと思っています。
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