レビュアー:
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王朝貴族の高価な玩具、御伽草子では主役を張り、またある時には妖怪に。文字のあわいに浮かびあがる、日本のニャンコたち。
猫好き国文学者の田中先生による本書のテーマは「文字(文献)に書かれた猫」である。平安時代から漱石の『吾輩は猫である』まで、日本人が可愛いニャンコとどう関わってきたのか、文学を読み返しながら確かめようという趣旨だ。
古来から日本にいたのは山猫の類で、いま人と暮らしている猫たちの祖先は中国から来たそうだ。遣唐使にでも抱っこされて船に揺られてきたのだろうか。文献への初登場は9世紀の仏教説話集『日本霊異記』で、猫を「狸」と表記している。昔の中国ではネコのことを狸と書いていたので、中国の文献で勉強していた日本人は混同してしまった。猫と狸は同じものという説まで流布されたそうだが、やがてニャンコは「猫」という文字に落ち着く。けものへんに苗、穀物を荒らすネズミを捕るのに大活躍したからだ。
綺麗な高級種の「唐猫」は貴族の愛玩物となり、様々な王朝文学に出現する。見せびらかすための高価なブランド品とみなしていた人、現代と同じペット感覚で可愛がった宇多天皇など、当時の日記からは猫に寄せる人の愛情の濃淡も伺える。猫の鳴き声を「ねうねう」と文字にしたのは紫式部が最初だそうだ。
ところでその頃ワンコたちはどうしていたの?おやおや、当時はほとんどが野犬で、死肉を喰らう不浄な動物と見られていた。インテリ貴族たちの書いた物語に、犬ではなく猫が登場すべき理由がちゃんとあったのである。本書には、古典における猫の意味を近代の感性だけで切り取ってはいけないと述べられているが、なるほどそういうことかと納得できる。
時代が下り戦国末期、島津家では朝鮮出兵の際に「時計」として連れて行ったいう資料もある(瞳孔の開き具合で時間を推測)。文献を追ってゆくと、なぜ猫が人に必要とされていたのかも見えてくる。一番初めはネズミ捕りの道具だったにせよ、その愛らしさに惚れてニャンコを可愛がった日本人の姿は、やはり微笑ましい。時折挟まれる田中先生の個人的感想にも「ネコ愛」が溢れている。猫好きならずとも読んで楽しい一冊ではないだろうか。
古来から日本にいたのは山猫の類で、いま人と暮らしている猫たちの祖先は中国から来たそうだ。遣唐使にでも抱っこされて船に揺られてきたのだろうか。文献への初登場は9世紀の仏教説話集『日本霊異記』で、猫を「狸」と表記している。昔の中国ではネコのことを狸と書いていたので、中国の文献で勉強していた日本人は混同してしまった。猫と狸は同じものという説まで流布されたそうだが、やがてニャンコは「猫」という文字に落ち着く。けものへんに苗、穀物を荒らすネズミを捕るのに大活躍したからだ。
綺麗な高級種の「唐猫」は貴族の愛玩物となり、様々な王朝文学に出現する。見せびらかすための高価なブランド品とみなしていた人、現代と同じペット感覚で可愛がった宇多天皇など、当時の日記からは猫に寄せる人の愛情の濃淡も伺える。猫の鳴き声を「ねうねう」と文字にしたのは紫式部が最初だそうだ。
ところでその頃ワンコたちはどうしていたの?おやおや、当時はほとんどが野犬で、死肉を喰らう不浄な動物と見られていた。インテリ貴族たちの書いた物語に、犬ではなく猫が登場すべき理由がちゃんとあったのである。本書には、古典における猫の意味を近代の感性だけで切り取ってはいけないと述べられているが、なるほどそういうことかと納得できる。
時代が下り戦国末期、島津家では朝鮮出兵の際に「時計」として連れて行ったいう資料もある(瞳孔の開き具合で時間を推測)。文献を追ってゆくと、なぜ猫が人に必要とされていたのかも見えてくる。一番初めはネズミ捕りの道具だったにせよ、その愛らしさに惚れてニャンコを可愛がった日本人の姿は、やはり微笑ましい。時折挟まれる田中先生の個人的感想にも「ネコ愛」が溢れている。猫好きならずとも読んで楽しい一冊ではないだろうか。
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「本が好き!」に参加してから、色々な本を紹介していただき読書の幅が広がりました。
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- 出版社:講談社
- ページ数:224
- ISBN:9784062922647
- 発売日:2014年10月11日
- 価格:864円
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