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ぷるーと
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江戸末期、樺太周辺の地図を記した間宮林蔵の苦難の旅を描いた歴史小説。
間宮林蔵は、その当時まだ未開の地といわれていた樺太の最北端まで探検し、樺太が島だということを世界で初めて立証した人物だ。  

その頃はすでに、欧州諸国やアメリカが植民地政策でアジア諸国に軍事的介入をするようになったこと、世界的に捕鯨漁が盛んになったことなどから、かなり詳細な世界地図が世界的に流布するようになっていたのだが、樺太周辺だけは、周辺の海が浅すぎて大型の船が近寄れなかったため、まだ詳細な調査がなされていなかった。

間宮林蔵は、にわかに活発に北海道周辺に出没するようになったロシアへの対応策を練るためにもまだ未開地であった樺太の北部を探検してその詳細を知ることが必要と考え、樺太北部探検を松前藩に上申したのだ。

間宮林蔵の命懸けの樺太北部探検を描いた場面は、鬼気迫るものがある。
江戸時代も終末近くなり異国船が頻繁に外洋に姿を見せるようになってきているという不安(ただ、この時代に日本近海でよく見られたのは日本近海で鯨がよく獲れたためにやってきていた捕鯨船がほとんどだったそうだ)、風の噂に伝え聞くアヘン戦争の惨憺たる結果など、幕府もいつまでも諸外国に対して安穏としてはいられなくなってきていた。間宮林蔵の焦りや不安は、そのまま、幕府の不安だった。

この作品には、間宮林蔵一人の動きだけではなく、大きく動く時代を生き抜いた人々が活き活きと描かれていて、これがまた何ともいえずに面白い。
中でも、伊能忠敬は、間宮林蔵が樺太探検にあたって教えを請うた人物で、伊能忠敬は間宮林蔵に正確な羅針盤を貸しただけでなく、自分が考案した精巧な磁石も2つ惜しげもなく間宮林蔵に貸している。当時精巧な地図を作ることがどれほど大事なことかを分かっていた人だからこそできることだった。ただ単に自分の功名心だけを考えるような人物ではなかった、伊能忠敬の人間としての素晴らしさ、懐の深さが伝わってくる。

この伊能忠敬の日本全図や間宮林蔵が記した北海道地図を日本国外に持ち出そうとしたシーボルト、安政の大獄で命を散らした高野長英も、間宮林蔵と面識があったという。さらに余談にはなるが、間宮林蔵が仕えたのは、なんとあの遠山の金さんこと遠山金四郎だったとは。
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ぷるーと
ぷるーと さん本が好き!1級(書評数:2932 件)

 ホラー以外は、何でも読みます。みなさんの書評を読むのも楽しみです。
 よろしくお願いします。
 

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