素通堂さん
レビュアー:
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僕たちは孤独だけど、ちゃんとつながっている
追悼って、なんでしょう?
それは、生きている者の利己的な行為なんでしょうか。あるいはそれはただの感傷であり、無意味なことなんでしょうか。
僕たちには、あの世のことなんて分かりません。そういうものがあるのか、ないのかということも。
にもかかわらず、僕たちが死者を想う、追悼するのはなぜでしょう。
追悼するということは、実はラジオに似ている、作者の最初の発想はそういうところにあったのかもしれません。
ラジオのDJほど、孤独を感じている人はいないでしょう。もしも葉書やメールがなければ、彼らにはリスナーがいるのかどうかすらわからないのです。
そもそもコミュニケーションというのは、自分のメッセージを誰かに伝えるということでしょう。でも、その誰かというのがわからない。その誰かが存在するかどうかすら、わからない。
それでもDJは、その誰かに向かって、存在するかどうかすらわからない誰かに向かって、話しかけ、音楽を届けようとする。
追悼することも、同じかもしれません。届くかどうかわからない、届く相手が存在するかどうかわからない、それでも何かを伝えたいという思い。
なぜそういうことをしたい、と思うのでしょう。その答えは、作中作の男女の会話の中にあると思います。
それは自分自身と世界との関係の問題なのです。
この世にいる自分とあの世のいる誰か、もしくはその逆の状態があって、この二つの世界は完全に断絶されている、もしもそう考えるなら、確かにそれをつなごうという行為は無意味なことかもしれません。
その考えは、死者との間でなくても成り立ちます。僕には他人の考えていることはわかりません。だから完全に断絶されている、そう考えたなら、コミュニケーションしようと思うことがただただ無意味になってしまうのではないでしょうか。
見えなくても、聞こえなくても、分からなくても、実は自分と外の世界は断絶してはいないのです。
自分の中の世界と外の世界があるわけではなく、自分の中の世界に外の世界が含まれていて、外の世界の中に自分もまた含まれている、そういう感覚。
だから生きている者は死者を追悼しようと思うのです。それは自分のためでもあるけれど、同時にそれは自分も死者も含めた世界のためでもあり、自分が含まれている死者のためでもある。
この物語を通していとうせいこうさんが、存在するかどうかも分からない誰か、に向かって伝えようとしたメッセージはそういうことなんじゃないか、と思うのです。
一言で言ってしまうならば、それは「死者は生者の中で生き続ける」ということ。
でも、そうしてしまうとなんて安っぽくて嘘くさい言葉でしょう。
いつだって真実の表層はそんなものなのかもしれません。
簡単に言ってしまえば安っぽくて嘘くさくなるような、そんなことにたどり着くために、失われてゆくもののなんて多いことなのか。
だから僕たちはなにかを発信せずにはいられないのかもしれません。
死者に対しても、あるいは生者に対しても。
それは、生きている者の利己的な行為なんでしょうか。あるいはそれはただの感傷であり、無意味なことなんでしょうか。
僕たちには、あの世のことなんて分かりません。そういうものがあるのか、ないのかということも。
にもかかわらず、僕たちが死者を想う、追悼するのはなぜでしょう。
追悼するということは、実はラジオに似ている、作者の最初の発想はそういうところにあったのかもしれません。
ラジオのDJほど、孤独を感じている人はいないでしょう。もしも葉書やメールがなければ、彼らにはリスナーがいるのかどうかすらわからないのです。
そもそもコミュニケーションというのは、自分のメッセージを誰かに伝えるということでしょう。でも、その誰かというのがわからない。その誰かが存在するかどうかすら、わからない。
それでもDJは、その誰かに向かって、存在するかどうかすらわからない誰かに向かって、話しかけ、音楽を届けようとする。
追悼することも、同じかもしれません。届くかどうかわからない、届く相手が存在するかどうかわからない、それでも何かを伝えたいという思い。
なぜそういうことをしたい、と思うのでしょう。その答えは、作中作の男女の会話の中にあると思います。
それは自分自身と世界との関係の問題なのです。
この世にいる自分とあの世のいる誰か、もしくはその逆の状態があって、この二つの世界は完全に断絶されている、もしもそう考えるなら、確かにそれをつなごうという行為は無意味なことかもしれません。
その考えは、死者との間でなくても成り立ちます。僕には他人の考えていることはわかりません。だから完全に断絶されている、そう考えたなら、コミュニケーションしようと思うことがただただ無意味になってしまうのではないでしょうか。
見えなくても、聞こえなくても、分からなくても、実は自分と外の世界は断絶してはいないのです。
自分の中の世界と外の世界があるわけではなく、自分の中の世界に外の世界が含まれていて、外の世界の中に自分もまた含まれている、そういう感覚。
だから生きている者は死者を追悼しようと思うのです。それは自分のためでもあるけれど、同時にそれは自分も死者も含めた世界のためでもあり、自分が含まれている死者のためでもある。
この物語を通していとうせいこうさんが、存在するかどうかも分からない誰か、に向かって伝えようとしたメッセージはそういうことなんじゃないか、と思うのです。
一言で言ってしまうならば、それは「死者は生者の中で生き続ける」ということ。
でも、そうしてしまうとなんて安っぽくて嘘くさい言葉でしょう。
いつだって真実の表層はそんなものなのかもしれません。
簡単に言ってしまえば安っぽくて嘘くさくなるような、そんなことにたどり着くために、失われてゆくもののなんて多いことなのか。
だから僕たちはなにかを発信せずにはいられないのかもしれません。
死者に対しても、あるいは生者に対しても。
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twitterで自分の個人的な思いを呟いてたら見つかってメッセージが来て気持ち悪いのでもうここからは退散します。きっとそのメッセージをした人はほくそ笑んでいることでしょう。おめでとう。
今までお世話になった方々ありがとうございました。
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この書評へのコメント
- Wings to fly2014-05-16 13:45
この書評を、掲示板で祐太郎さんが主催なさっている「2014年4月、私の1冊、この人の1冊」で推薦させて頂きました。よろしかったら後で覗いてみて下さい♪
http://www.honzuki.jp/bookclub/theme/no183/index.html#com2th-7924クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。

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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:200
- ISBN:9784309021720
- 発売日:2013年03月02日
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