茜さん
レビュアー:
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世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。
原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。
その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。
本書は心理学者であり著者であるヴィクトールが実際に体験した、ナチスの強制収容所を内側から見た体験記だ。
あの悪名高いアウシュヴッツではなく支所での体験記らしい。
本書によると収容所生活への被収容者の心の反応は三段階に分けられる。それは、施設に収容される段階、まさに収容所生活そのものの段階、そして収容所からの出所ないし解放の段階だ。
読んでいると今の時代に日本という国に生きている私達のなんと幸せなことだろうと思ってしまう。
ある日突然連行されて収容所に収監されたとしたら、私は途方に暮れてしまい気が狂ってしまうかもしれないと思った。
ヴィクトール曰く、この世にはふたつの人間の種類がいる。いや、ふたつの種族しかいない。まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入り込み、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。
その証拠としてヴィクトールの収容所でも監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。と綴っている。
わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時にガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
何が怖いって人間が一番怖いということがこの文章から感じられました。
そして、タイトルである「夜と霧」とは訳者あとがきに書かれていたのだけれど、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずことも連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだと書かれていて少しゾッとしました。
読み終えて何故か谷川俊太郎氏の「生きる」という詩を思い起こしました。
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初志貫徹、実るほど頭を垂れる稲穂かな
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- 出版社:みすず書房
- ページ数:169
- ISBN:9784622039709
- 発売日:2002年11月06日
- 価格:1575円
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