素通堂さん
レビュアー:
▼
なぜ、彼らは「忍者」なのだろう?
小さいころ、僕は大きくなったら恐竜になりたいと思っていました。が、よく考えたら恐竜は人間じゃないぞ、ということに気がついたので、それから僕がなりたいのは忍者でした。
忍者はなぜかっこいいのか。それはきっと、彼らの超人的な能力ゆえでしょう。先日読んだ「梟の城」はかなり現実的に描かれていたとはいえ、やっぱり葛籠重蔵は優れた身体能力と奇妙奇天烈な技を繰り出すヒーローなのでした。
もちろんそういったヒーローとしての忍者像が悪いというわけではなく、それはそれでやっぱり楽しくて、そんな忍者たちは今でも大好きなのです。
ただ、一つの物語における方法論として、より現実的に忍者というものを考えていくと、彼らは決してそんな超人たちではなかったのでしょうし、そういうヒーローではない忍者の物語というのもありえます。
そのような物語が本書「忍びの者」シリーズであり、また白土三平の「カムイ」シリーズだったのかもしれません。
時はまだ伊賀が信長によって焼き尽くされるよりも前のこと。伊賀では藤林党と百地党に大きく分かれて対立しながら、しかし大きな争いというものはありませんでした。
彼らは上忍、中忍、下忍と身分が分かれていて、全国に派遣されて忍びとしての仕事を行うのはもっぱら下忍たち。主人公のカシイもそんな下忍の一人でした。
忍びが忍びである以上、彼らは何らかの特殊な能力を持っています。しかし、「忍」という字は「心」の上に「刃」と書くように、優れた「忍び」とは自らの心を殺すことのできる者のことでもあるのです。
「くノ一」の術を使うためには女心を知らなければならない。しかし、女に惚れることは許されません。
誰よりも強く、優れた忍びであらなければならない。しかし、優れた忍びはそのことを誰にも知られてはいけない。
そして何よりも彼ら忍びの者たちは、たとえどれだけ優れた能力を持っていたとしても、むしろそれゆえに、優れた人間である以前に優れた「道具」なのでした。
忍びの道とは、自らの職能を究めることで人生を切り拓くのではなく、自らの職能を究めれば極めるほど、人間らしさからかけ離れていってしまう、そういう道なのです。
カシイを始めこの物語に登場する下忍たちは様々な形で忍びを行い、そして多くの者がいかにも忍者らしく、誰にも知られることなく死んでゆきます。
なぜ彼らは忍者であり続けるのか。その答えがこの物語で提示されることはありません。そもそもそんな問いを投げかけること自体がナンセンスなことだから。
それはこの時代のせいなのでしょうか。幕府や朝廷といった大きな権力が力を失い、それゆえに混沌とし、大名たちが争い合った時代だったからなのでしょうか。
でも、よく考えればそんなある種の権力闘争というのは、政治であれビジネスであれ今でも残っていて(たとえそれが戦国時代ほどには残酷でなかったとしても)、やはりそういう世界の中で「道具」であり続ける人たちは今でもいるような気がするし、自分自身もそうなっていることがあるように思います。
「なぜ」と自分自身に対して問いかけること。それがなければ、僕はきっと人間ではなくただの「道具」になってしまう。ただの投票する「道具」だったり、ただのお金を稼ぐ「道具」だったり。
でも、そんなことを言いながらも、やっぱり僕は忍者が好きです。ヒーローとしての忍者はもちろん好きだし、一方で自分の心を殺して道具となる忍者のニヒリズムにどこか惹かれる部分もやっぱりあるのです。なんでだろう?
そう考えると、そんな彼ら忍者たちも、やっぱり「なぜ」という問いを心に抱き続けていたのかもしれません。
仮に「なぜ」を問わないとしても、「なぜ」、「なぜ」を問わないのか、という疑問が生まれるのだから。
そう考えると、「なぜ」という問いが、決して答えが出ないにもかかわらず、それゆえに問わずにはいられないように、忍びの道もまた、決してたどり着くことができないゆえに足を踏み入れてしまうのかもしれません。
ヒーローとしての忍者も、そうじゃない忍者も、きっと元は同じところから生まれていて、それらはどちらも忍者という概念によるまやかしなのでしょう。
それはまるで忍法分身の術のように。
この物語を読んで気づいたことがあります。それは、僕がいつの間にか忍者のようになっていた、ということ。
自分の仕事を持って、その仕事の中で自分が社会の道具であるような気がして、心を殺しているように感じることがあって、でもそのことを考えても仕方がないから考えないことにしていて、そして心のどこかでヒーローになれたらいいな、と思っている。
そんな僕は、この物語の忍者たちとどこか被っているように感じるのです。
というわけで、実は僕の幼い頃の夢は叶っていたのでした!!
……でも僕がなりたかったのはそういう忍者じゃなかった!!
忍者はなぜかっこいいのか。それはきっと、彼らの超人的な能力ゆえでしょう。先日読んだ「梟の城」はかなり現実的に描かれていたとはいえ、やっぱり葛籠重蔵は優れた身体能力と奇妙奇天烈な技を繰り出すヒーローなのでした。
もちろんそういったヒーローとしての忍者像が悪いというわけではなく、それはそれでやっぱり楽しくて、そんな忍者たちは今でも大好きなのです。
ただ、一つの物語における方法論として、より現実的に忍者というものを考えていくと、彼らは決してそんな超人たちではなかったのでしょうし、そういうヒーローではない忍者の物語というのもありえます。
そのような物語が本書「忍びの者」シリーズであり、また白土三平の「カムイ」シリーズだったのかもしれません。
時はまだ伊賀が信長によって焼き尽くされるよりも前のこと。伊賀では藤林党と百地党に大きく分かれて対立しながら、しかし大きな争いというものはありませんでした。
彼らは上忍、中忍、下忍と身分が分かれていて、全国に派遣されて忍びとしての仕事を行うのはもっぱら下忍たち。主人公のカシイもそんな下忍の一人でした。
忍びが忍びである以上、彼らは何らかの特殊な能力を持っています。しかし、「忍」という字は「心」の上に「刃」と書くように、優れた「忍び」とは自らの心を殺すことのできる者のことでもあるのです。
「くノ一」の術を使うためには女心を知らなければならない。しかし、女に惚れることは許されません。
誰よりも強く、優れた忍びであらなければならない。しかし、優れた忍びはそのことを誰にも知られてはいけない。
そして何よりも彼ら忍びの者たちは、たとえどれだけ優れた能力を持っていたとしても、むしろそれゆえに、優れた人間である以前に優れた「道具」なのでした。
忍びの道とは、自らの職能を究めることで人生を切り拓くのではなく、自らの職能を究めれば極めるほど、人間らしさからかけ離れていってしまう、そういう道なのです。
カシイを始めこの物語に登場する下忍たちは様々な形で忍びを行い、そして多くの者がいかにも忍者らしく、誰にも知られることなく死んでゆきます。
なぜ彼らは忍者であり続けるのか。その答えがこの物語で提示されることはありません。そもそもそんな問いを投げかけること自体がナンセンスなことだから。
それはこの時代のせいなのでしょうか。幕府や朝廷といった大きな権力が力を失い、それゆえに混沌とし、大名たちが争い合った時代だったからなのでしょうか。
でも、よく考えればそんなある種の権力闘争というのは、政治であれビジネスであれ今でも残っていて(たとえそれが戦国時代ほどには残酷でなかったとしても)、やはりそういう世界の中で「道具」であり続ける人たちは今でもいるような気がするし、自分自身もそうなっていることがあるように思います。
「なぜ」と自分自身に対して問いかけること。それがなければ、僕はきっと人間ではなくただの「道具」になってしまう。ただの投票する「道具」だったり、ただのお金を稼ぐ「道具」だったり。
でも、そんなことを言いながらも、やっぱり僕は忍者が好きです。ヒーローとしての忍者はもちろん好きだし、一方で自分の心を殺して道具となる忍者のニヒリズムにどこか惹かれる部分もやっぱりあるのです。なんでだろう?
そう考えると、そんな彼ら忍者たちも、やっぱり「なぜ」という問いを心に抱き続けていたのかもしれません。
仮に「なぜ」を問わないとしても、「なぜ」、「なぜ」を問わないのか、という疑問が生まれるのだから。
そう考えると、「なぜ」という問いが、決して答えが出ないにもかかわらず、それゆえに問わずにはいられないように、忍びの道もまた、決してたどり着くことができないゆえに足を踏み入れてしまうのかもしれません。
ヒーローとしての忍者も、そうじゃない忍者も、きっと元は同じところから生まれていて、それらはどちらも忍者という概念によるまやかしなのでしょう。
それはまるで忍法分身の術のように。
この物語を読んで気づいたことがあります。それは、僕がいつの間にか忍者のようになっていた、ということ。
自分の仕事を持って、その仕事の中で自分が社会の道具であるような気がして、心を殺しているように感じることがあって、でもそのことを考えても仕方がないから考えないことにしていて、そして心のどこかでヒーローになれたらいいな、と思っている。
そんな僕は、この物語の忍者たちとどこか被っているように感じるのです。
というわけで、実は僕の幼い頃の夢は叶っていたのでした!!
……でも僕がなりたかったのはそういう忍者じゃなかった!!
投票する
投票するには、ログインしてください。
twitterで自分の個人的な思いを呟いてたら見つかってメッセージが来て気持ち悪いのでもうここからは退散します。きっとそのメッセージをした人はほくそ笑んでいることでしょう。おめでとう。
今までお世話になった方々ありがとうございました。
この書評へのコメント

コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:
- ページ数:494
- ISBN:9784006020613
- 発売日:2003年01月16日
- 価格:1050円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。





















