有坂汀さん
レビュアー:
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本書は気鋭の哲学者、國分功一郎先生が著した研究書です。これは僕の痛恨事ですが、國分先生が本書で言及されているスピノザやデカルトの著作を一切読まずに読んでしまったので、まずはそちらから読む事を勧めます。
本書は気鋭の哲学者、國分功一郎先生が、博士論文として提出し、受理されたものに改稿を加え、書籍化したものであります。いわゆる『研究書』というものでございまして、入門書の類ではないことをまずお断りさせていただきます。
僕が本書を読む前にしでかした痛恨の「ミス」というのは、國分先生が終始言及しているスピノザやデカルトの著作を一切読まないまま、臨んでしまったので、僕の轍を踏みたくないと思われる方は先にスピノザの『知性改善論』『デカルトの哲学原理』そして『エチカ』などを通読し、余裕があればデカルトなどの著作も読んでおいたほうがよろしいかと思われます。
この『スピノザの方法』には、國分先生がスピノザの著作物を徹底的に精読する中で、スピノザの思考法や著述方式をあぶりだして行く、というもので、僕は本書を読んでから(もし挑戦する気力があるのならば)スピノザの書いた原典へと進むという「道筋」が立てられたことになったわけでありまして、本書がある種の「指針」となったのかもしれません。
本書の構成は三部制となっており、それぞれには「総括」というくくりでまとめられている箇所があり、さらに「序章」と「あとがき」には趣旨がまとめられておりますので、僕は最初からページをめくって読みましたが、もしスピノザの原典を読まずに本書に挑戦したいという「ドン・キホーテ」が僕のほかにもしいらっしゃるのであれば、まずは周りを固めてから本文に進まれたほうがよいのかもしれません。
「あとがき」のほうで國分先生は本書の基となった博士課程論文の主査をつとめてもらった森山工先生に何度も繰り返し伝えられ、乗り越えられなかったものとして挙げているのが、
「國分さんはスピノザをひとりで読んでいる」
という指摘があったのだそうで、本書の結論部にそれに対する応答は記したものの、どうも國分先生の中では決着がついていないご様子で、
『(中略)だが、自分ではなおも「ひとりで読んでいる」とはどういうことなのか、「誰かと一緒に読む」とはどういうことなのかがわかっていない。私はおそらくそこに到達しなければならない。』(p.358)
とし、本書にはまだ『続き』が用意されているのではあるまいかと、そんな予感を思わせます。繰り返しますが、正直、スピノザやデカルトについて、高校の倫理の教科書に毛が生えたような程度の人間が本書に挑戦するのはまことに持って『無謀』だったのかもしれませんが、こういうことも時としては「必要」なものなんだと、そう納得させているのです。
「あとがき」のラスト2行である、
『(中略)もういちど「ひとりで読んでいる」とはどういうことなのか、「誰かと一緒に考える」とはどういうことなのかを考えねばならないと思っている。』(p.358)
とのことで、いつの日か國分先生が自身の問いに対する「答え」を読むことができる日を楽しみにしつつ。これからも僕は國分先生の著作や発言を読み、聞いていければなと、そんなことを考えております。
僕が本書を読む前にしでかした痛恨の「ミス」というのは、國分先生が終始言及しているスピノザやデカルトの著作を一切読まないまま、臨んでしまったので、僕の轍を踏みたくないと思われる方は先にスピノザの『知性改善論』『デカルトの哲学原理』そして『エチカ』などを通読し、余裕があればデカルトなどの著作も読んでおいたほうがよろしいかと思われます。
この『スピノザの方法』には、國分先生がスピノザの著作物を徹底的に精読する中で、スピノザの思考法や著述方式をあぶりだして行く、というもので、僕は本書を読んでから(もし挑戦する気力があるのならば)スピノザの書いた原典へと進むという「道筋」が立てられたことになったわけでありまして、本書がある種の「指針」となったのかもしれません。
本書の構成は三部制となっており、それぞれには「総括」というくくりでまとめられている箇所があり、さらに「序章」と「あとがき」には趣旨がまとめられておりますので、僕は最初からページをめくって読みましたが、もしスピノザの原典を読まずに本書に挑戦したいという「ドン・キホーテ」が僕のほかにもしいらっしゃるのであれば、まずは周りを固めてから本文に進まれたほうがよいのかもしれません。
「あとがき」のほうで國分先生は本書の基となった博士課程論文の主査をつとめてもらった森山工先生に何度も繰り返し伝えられ、乗り越えられなかったものとして挙げているのが、
「國分さんはスピノザをひとりで読んでいる」
という指摘があったのだそうで、本書の結論部にそれに対する応答は記したものの、どうも國分先生の中では決着がついていないご様子で、
『(中略)だが、自分ではなおも「ひとりで読んでいる」とはどういうことなのか、「誰かと一緒に読む」とはどういうことなのかがわかっていない。私はおそらくそこに到達しなければならない。』(p.358)
とし、本書にはまだ『続き』が用意されているのではあるまいかと、そんな予感を思わせます。繰り返しますが、正直、スピノザやデカルトについて、高校の倫理の教科書に毛が生えたような程度の人間が本書に挑戦するのはまことに持って『無謀』だったのかもしれませんが、こういうことも時としては「必要」なものなんだと、そう納得させているのです。
「あとがき」のラスト2行である、
『(中略)もういちど「ひとりで読んでいる」とはどういうことなのか、「誰かと一緒に考える」とはどういうことなのかを考えねばならないと思っている。』(p.358)
とのことで、いつの日か國分先生が自身の問いに対する「答え」を読むことができる日を楽しみにしつつ。これからも僕は國分先生の著作や発言を読み、聞いていければなと、そんなことを考えております。
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有坂汀です。偶然立ち寄ったので始めてみることにしました。ここでは私が現在メインで運営しているブログ『誇りを失った豚は、喰われるしかない。』であげた書評をさらにアレンジしてアップしております。
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- 出版社:みすず書房
- ページ数:368
- ISBN:9784622075790
- 発売日:2011年01月21日
- 価格:5670円
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