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mono sashi
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低コストにしてハイ・パフォーマンス! 眺めて楽しむ、知って広がる、使って遊ぶ、を一冊に凝縮した、最良の温泉(文学)ガイドブック。
暑い、やたらに暑いと、戯言ばかり吐いていると、ますます息苦しく感じられるもの。身も心もグッタリとしおれる時候には、せめて心だけでも、さやかに保っていたい。そうお思いの方は、いっそうのこと、旅に出てみてはいいがでしょうか。

もちろん、お金と時間はとらせません。この一冊が手もとにあれば、旅の気分にゆったりと浸れるのですから。こんかい旅のプランにご用意したのは、「作家と旅」の関係にスポットをあてた温泉(文学)ガイドブック。北は青森県から南は熊本県まで、日本の津々浦々の名湯・秘湯を網羅した計27の温泉地が出揃っています。いずれも古今に名をはせる小説家(漫画家・画家を含む)ゆかりの地です。

こうも行き先があっては、さぞ、お困りでしょう。お客様の貴重な時間を無駄にしては申し訳ありません。こちらの方で三つのタイプに区別をさせていただきました。各自にあてはまるものをじっくりお選びくださいませ。

・文豪がこよなく愛した名湯タイプ

川端康成が学生の頃から親しんだ、伊豆・湯ヶ島温泉湯本館。武田百合子が足繁く通った浅草寺近くにある下町のオアシスこと、浅草観音温泉。温泉愛好家で知られる文豪が通った温泉がこちらに分類されます。

なかでも特質すべきは、数々の名作を生んだ国民作家である漱石先生そのひとでしょう。『坊ちゃん』に「住田温泉」として登場する道後温泉本館。ふたりの会話形式で展開する『二百十日』に描かれた阿蘇・内牧温泉。また初期の名作『草枕』の舞台となった小天温泉と、漱石先生が温泉をこよなく愛したことは、その作品内からも、十二分にうかがい知ることができます。

木造三階建ての道後温泉本館は、先生が親しまれた公衆浴場だけあって、茶目っ気たっぷりの趣向も見逃せません。温泉建築で初の国の重要文化財に指定された本館の、神の湯では、作中のエピソードにひっかけて「坊ちゃん泳ぐべからず」と立て札がかかっており、三階に上がれば、作中の登場人物たちのモデルの写真が坊ちゃんの間に展示されているからです。

先生が亡くなり百年あまり経過した現在でも、こうして地元の人に親しまれているのは、さすが国民作家である漱石先生。公衆浴場だけあって料金も経済的。源泉かけ流しの湯にゆるりと浸かりながら、在りし日の先生の姿を偲んでみるのはいかかでしょうか。


・病気療養のために赴いた湯治タイプ

暑さにまいって体調を崩されてはいませんか。温泉におもむくのは、なにも行楽ばかりとは限りません。かねてから湯治と称されるように、現代では全治する病でも文豪が生きた時代は、病気療養のために温泉に浸かり静養(恢復)をはかったのです。

紀州・湯崎温泉は、二十歳の梶井基次郎が、肺結核を病み静養するために身を寄せたところです。湯崎七湯のうちで唯一現存する露天風呂・崎の湯は、運動器障害、リウマチなどに効能がある、海をのぞむ絶景地に建っています。

帯状発疹の後遺症に悩まされた横尾忠則氏が、朝夕の二度の入浴で痛みが消えたという草津温泉も忘れてはなりません。入浴で痛みが消えたとするこの温泉は、慢性皮膚病、神経痛、筋肉痛、切り傷などに効果があるとされ、またその<霊泉>の恩恵にあずかった一件から、彼は創作の着想を得ることにも成功しました。

いつ果てることもない病躯を抱えて逗留した温泉地は、作家の創造性にも、つよい影響をあたえてきたのです。その代表格といえば、やはり志賀直哉です。彼は不遇な電車事故で、頭蓋骨骨折という大怪我を負い、奇跡的に一命をとりとめます。静養のため、当地の旅館・三木屋に逗留し、ここで三つの動物(蜂・鼠・ヤモリ)の死を目撃したことから、「事実ありのままの小説」とする『城の崎にて』を執筆します。療養のために訪れた温泉地は、作家の想像力を刺激する格好の場所でもあったのです。

小説を執筆するとはいかないまでも、病気療養をかねた滞在はもちろん、病気の予防や健康の増進をはかる一助にも、ぜひ温泉をご利用くださいませ。滞在中に<霊泉>の思わぬ効能にありつけるかもしれませんよ。

・世の喧騒を離れて身を寄せる隠者タイプ

人さまが多い場所は「どうも、苦手で」と仰る方に、ご用意したのがこちら。世と隔絶された地で、ゆっくりとご自分と向き合いたい方にはぴったりの場所です。

吉川英治が『宮本武蔵』の構想を練ったことで知られる青森県・温川温泉斎藤旅館は、人里はなれた立地条件も手伝って、曰く言い難い魅力を放っておりますし、博覧強記の温泉家こと、種村季弘が愛した侘しい各地の宿も、いまだに健在です。正直なところ、私などもひっそりと佇む宿が好みに適うものです。

辺境の温泉地を訪ねた大家は、言わずと知れた漫画家のつげ義春です。温泉好きが興じて、鉱泉宿をはじめようとした通り、彼のマンガ作品には『ゲンセンカン主人』、『オンドル小屋』、『リアリズムの宿』と、世にとり残されたような鄙びた宿が、多くとりあげられております。

温泉宿にある寂れた佇まいが、世に見捨てられたようなその気持ちの底とあわさり、何とも言えぬ安らぎを覚えたというから、人間とは不思議なものです。彼が愛好した温泉宿は、時代の流れに抗えず、いまでは急速に消えてゆくのが現状です。時代の窮状にあっても、伊豆半島・松崎温泉にある長八の宿・山光荘や、養老渓谷温泉・川の家は、いまも変わらず営業を続けており、世に疲弊した旅人の心を、きっと解してくれることでしょう。

このタイプに適う方は、出来れば火急にお出かけください。ゆっくり構えて、後々に後悔なさってはいけません。ぜひ、お訪ねの際は、当地を舞台にした作品を携帯することもお忘れなく。これまで以上に、作品の味わいが深まること間違いありません。

・おしまいに

お好みの場所は見つかりましたか。純粋に温泉をこよなく愛したもの。療養のために温泉に浸かったもの。鄙びた宿を訪ね歩くもの。作家と作品の関係で見渡せば、旅の愉しみは何倍にもひろがります。

それでもイメージを掴みにくい方には、もう一度本書にじっくり目を通していただきたいと思います。熱海・大野屋(現存せず)で、背中を流してもらい笑みをうかべる坂口安吾。湯あがりに裸一枚で、うちわ片手に体を冷ます谷崎潤一郎。リンゴ風呂に女性と浸り、前のめりで取材を敢行する田中小実昌。群馬県・四万温泉で、ご満悦に湯浴みを楽しむ師匠・井伏さんの傍らで、のぼぜ気味なうつろな表情をみせる太宰治。貴重な図版があなたの眼を楽しませてくれます。きっと、好みに適う温泉地が見つかることでしょう。

旅は道ずれとはよく言ったもので、ひとり旅に出るのは、心おぼつかないもの。最後に私から、温泉ソムリエこと、田山花袋の「温泉めぐり」の一節にひっかけて、こんな言葉を贈ります。

小説(温泉)は小説(温泉)ばかりで面白いのではない。矢張その周囲を知れば知るほど、その興味は増つて来るものである。
                    *カッコ内を含めた文章が本来のオリジナル
       
世に知れ渡った古今の作品も、実際の舞台となり当地でのエピソードを知るにつけ、それまでとは違った作品の表情がうかびあがってくることでしょう。さて、旅の仕度は整いましたか。それでは、お気をつけて、いってらっしゃいませ。

*発行年が2010年のため、温泉・旅館等の詳細は、別途最新のものをご参考ください。
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mono sashi
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(2019/11/16)

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この書評へのコメント

  1. Wings to fly2016-08-27 17:33

    昨日まで鎌倉の友人の家におりました。稲村ヶ崎温泉に行ってきましたよ!お湯が黒いのでびっくりしましたが、お肌すべすべになったような(^^)本は持っていきましたが、女3人の旅はおしゃべりに夢中で全く読むことなく持ち帰りました。

  2. mono sashi2016-08-27 18:20

    Wings to fly さん、コメントありがとうございます。
    鎌倉の温泉! いいなぁ~。東京に住んでいた頃、いちど鎌倉へ行きましたが、温泉があるとは知りませんでした。家の近所にも、文人墨客が訪ねた歴史ある温泉があります。しかし、かえって近場にあるだけに、なかなか行かないものです(苦笑) ワイワイ旅行も、楽しそうでいいですねー('ω')ノ

  3. ef2016-08-28 05:43

    数年前に道後温泉に行った時のことです。あそこって、男性用の脱衣所がなくて、広間みたいなところで服を脱げと言われるのね。そこに女性客がいるにもかかわらず。
    何の罰ゲームだぁと思いましたよ(しくしく)。

  4. mono sashi2016-08-28 14:51

    efさん、コメントありがとうございます。
    本書の欄には、三つの入浴コースがあると紹介されていますが、専用の脱衣所がないとは、なかなか困りものですね。ある意味、忘れられない経験になったのではないでしょうか(苦笑)

    そういえば、いぜんに伊豆へ行ったとき、混浴の露天風呂があって、男性に混じって女性の方が入ってらしたのですが、お客が男性ばかりのため、なかなか湯からあがれないご様子でした。ちょっと、かわいそうだな~、と思ったことがあります。efさんのコメントを拝見して、そんな記憶が甦ってきました。

  5. くりりん2016-10-17 10:21

    初めまして?
    伊豆や熱川温泉には、行ったことがあるのですが、最近はもっぱら入浴剤で草津の湯を楽しむ位です。

    中々、一人旅等出来ない状況で、行けてスーパー銭湯(~_~;)
    温泉行きたいです。
    一度でいいから、「先生!締め切り過ぎてますよ(怒)!」なんて言われて、温泉宿に缶詰されたい!という憧れが有ります(^-^)

    この本欲しくなりました。

  6. mono sashi2016-10-17 12:34

    書店員くりりんさん、コメントありがとうございます。
    初めまして!……では、ないですよー´・ω・`
    以前、角田光代さんの『しあわせのねだん』のレビューにコメントをいただきました。

    温泉いいですよね~。スーパー銭湯でも私にとっては羨ましいです。
    家の近所に温泉はあるのですが、近ければ近いほど、
    かえって行かないものなんですよね~、これがw
    ということで、近頃、まったく外湯には出かけてない状態で……。

    温泉宿で執筆!……これは憧れます!! 
    ぜひぜひ、BOOKPORT大崎ブライトタワー店さんでお手に入れてくださいまし!

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