ゆうちゃんさん
レビュアー:
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愛とは精神的なものか、肉体的なものか。著者は本書のふたつの中編で精神的なものだと主張したかったようだが、肉体的なものだという主張があまりにも説得的に読めてしまう。そんな評者の精神は歪んでいるのだろうか
トルストイの中編小説二編。いずれも性を主題にした小説である。
「クロイツェル・ソナタ」
「私」が列車の中でポズドヌイシェフと言う男から聞いた話。列車の中で同席した者たち同士で、ある経緯があって、愛とは精神的なものか、肉体的なものか、の議論になった。それまで人を避けるようにしていたポズドヌイシェフが、精神的な愛など無いと否定する。彼の意見は総スカンを食らったのだが、夜が更けて来て、ポズドヌイシェフは起きている「私」に長い物語を始めた。
ポズドヌイシェフは若い頃は放蕩三昧で女道楽が過ぎたのだが、結婚を機に生活を改めようと考えた。清純な娘を探して相思相愛だと信じ込んで結婚したが、実際に共通の話題などはない。ポズドヌイシェフは後から顧みて、若い娘は良い男を見つけることに虎視眈々としており、それは母親がそう仕込むからだと言うことに気づく。なぜ母と娘はそんなことをするのかと言えば、女性を男性が抑圧するからで、そんな方法でしか女性は男性の抑圧を逃れ、ひいては男性を支配することが出来ないのだと言う。当時は、そんなことに気づかず、ふたりは結婚し、パリへの新婚旅行に出かける。些細なことで早速、喧嘩を始めるがいつも夫婦の仲直りのきっかけは肉体的な行為だった。そのうちポズドヌイシェフの妻は身ごもり出産した。ポズドヌイシェフは、これも後から気づいたことだが、女性は結婚しても男を虎視眈々と狙っているのだと言う。子供を生み授乳させる期間はそんなことが出来ない唯一の期間だった。しかし、ポズドヌイシェフの妻は最初の子の時は医者に体調を理由に授乳を禁じられた。乳母が雇われたが、ポズドヌイシェフは子供への義務を簡単に放棄する妻に益々不審を抱く。喧嘩しては、仲直りのきっかけは肉体関係と言う家庭生活をポズドヌイシェフは送るが、結婚前の放蕩三昧を棚に上げ一夫一妻制は頑なに守ろうとする。4人も子を産んでも妻はまだ美しく、そこに現れたのがセミプロのバイオリニストのトルハチェフスキーだった。ポズドヌイシェフの妻はピアノを弾くのでふたりは音楽に共通性がある。ポズドヌイシェフはトルハチェフスキーを外見は魅力的だが下らぬ男だと言う。妻も同意見だったのだが、ポズドヌイシェフが貴族会議で出張に行くと・・・。
「悪魔」
都会で大学を卒業し官吏となったエヴゲーニイが、一大決心をして父の借金を清算し田舎の領地経営を立て直そうする物語。だがこれも性愛の話。彼はその決心で田舎に引っ込んだ。放蕩とまでは行かないが、都会で女との交わりはそれなりにあった彼は田舎の寂しい生活に耐えられない。とうとう、健康のためと称し老森番のダニーラの手引きで、その夫が都会で馭者の仕事をして家を空けている人妻ステパニーダと情交する。ある夏にふたりの逢引きは10回にもなった。ステパニーダは美しい女性だったが、エヴゲーニイは金で割り切った関係だと思っていた。そんな彼は女学校を卒業したばかりのリーザと知り合い結婚することにした。これを機会にステパニーダとは縁を切った。リーザは容姿に秀でていた訳ではないが、夫のしたいことを察する良い妻だった。しかし、聖霊降臨祭の前日にリーザが大掃除を始め、村の女性を手伝いに呼んだのだがその中にステパニーダが居た。それまでは、領地経営の立て直しとリーザとの新婚生活を楽しんでいたエヴゲーニイはステパニーダの美しさに惑わされ自分の欲望を抑えるのに躍起となる。妻は夫が何に悩んでいるのかとても心配する。
「クロイツェル・ソナタ」はベートーベンが作曲したバイオリン・ソナタの名作。第一楽章は感情がほとばしる情熱的な曲なので、男女の感情の揺れをよく表していると言える。この曲が題名になったのは、ポズドヌイシェフの妻の前に現れた男がバイオリニストであることから容易に推測が付くだろう。
本書の作品でトルストイは男女の愛は精神的な結びつきが大切だと言いたかったらしい。自分も長い結婚生活を通じて、とっくに結婚に幻想は持てなくなった。それ故、トルストイの意に反して、「クロイツェル・ソナタ」を読んでもポズドヌイシェフの意見に与してしまう。下記は生きる目的と愛につてポズドヌイシェフが「私」に言って聞かせる意見。
 
「クロイツェル・ソナタ」のポズドヌイシェフが、トルストイの作品にしては珍しくドストエフスキー的な人物に読めた点も面白かった。ポズドヌイシェフは意見が過激な上、その過激な意見を持つに至ったに深い裏があるようで、この点がドストエフスキーの登場人物っぽい。一方で、「悪魔」の方はいかにもトルストイらしい作品になっている。
しかし、こうして読んでみると性愛を主題にした作品は、大作家のものと雖も、最近とみに変化が激しくなった考え方の変化についていけなくなってしまう感じがする。
「クロイツェル・ソナタ」
「私」が列車の中でポズドヌイシェフと言う男から聞いた話。列車の中で同席した者たち同士で、ある経緯があって、愛とは精神的なものか、肉体的なものか、の議論になった。それまで人を避けるようにしていたポズドヌイシェフが、精神的な愛など無いと否定する。彼の意見は総スカンを食らったのだが、夜が更けて来て、ポズドヌイシェフは起きている「私」に長い物語を始めた。
ポズドヌイシェフは若い頃は放蕩三昧で女道楽が過ぎたのだが、結婚を機に生活を改めようと考えた。清純な娘を探して相思相愛だと信じ込んで結婚したが、実際に共通の話題などはない。ポズドヌイシェフは後から顧みて、若い娘は良い男を見つけることに虎視眈々としており、それは母親がそう仕込むからだと言うことに気づく。なぜ母と娘はそんなことをするのかと言えば、女性を男性が抑圧するからで、そんな方法でしか女性は男性の抑圧を逃れ、ひいては男性を支配することが出来ないのだと言う。当時は、そんなことに気づかず、ふたりは結婚し、パリへの新婚旅行に出かける。些細なことで早速、喧嘩を始めるがいつも夫婦の仲直りのきっかけは肉体的な行為だった。そのうちポズドヌイシェフの妻は身ごもり出産した。ポズドヌイシェフは、これも後から気づいたことだが、女性は結婚しても男を虎視眈々と狙っているのだと言う。子供を生み授乳させる期間はそんなことが出来ない唯一の期間だった。しかし、ポズドヌイシェフの妻は最初の子の時は医者に体調を理由に授乳を禁じられた。乳母が雇われたが、ポズドヌイシェフは子供への義務を簡単に放棄する妻に益々不審を抱く。喧嘩しては、仲直りのきっかけは肉体関係と言う家庭生活をポズドヌイシェフは送るが、結婚前の放蕩三昧を棚に上げ一夫一妻制は頑なに守ろうとする。4人も子を産んでも妻はまだ美しく、そこに現れたのがセミプロのバイオリニストのトルハチェフスキーだった。ポズドヌイシェフの妻はピアノを弾くのでふたりは音楽に共通性がある。ポズドヌイシェフはトルハチェフスキーを外見は魅力的だが下らぬ男だと言う。妻も同意見だったのだが、ポズドヌイシェフが貴族会議で出張に行くと・・・。
「悪魔」
都会で大学を卒業し官吏となったエヴゲーニイが、一大決心をして父の借金を清算し田舎の領地経営を立て直そうする物語。だがこれも性愛の話。彼はその決心で田舎に引っ込んだ。放蕩とまでは行かないが、都会で女との交わりはそれなりにあった彼は田舎の寂しい生活に耐えられない。とうとう、健康のためと称し老森番のダニーラの手引きで、その夫が都会で馭者の仕事をして家を空けている人妻ステパニーダと情交する。ある夏にふたりの逢引きは10回にもなった。ステパニーダは美しい女性だったが、エヴゲーニイは金で割り切った関係だと思っていた。そんな彼は女学校を卒業したばかりのリーザと知り合い結婚することにした。これを機会にステパニーダとは縁を切った。リーザは容姿に秀でていた訳ではないが、夫のしたいことを察する良い妻だった。しかし、聖霊降臨祭の前日にリーザが大掃除を始め、村の女性を手伝いに呼んだのだがその中にステパニーダが居た。それまでは、領地経営の立て直しとリーザとの新婚生活を楽しんでいたエヴゲーニイはステパニーダの美しさに惑わされ自分の欲望を抑えるのに躍起となる。妻は夫が何に悩んでいるのかとても心配する。
「クロイツェル・ソナタ」はベートーベンが作曲したバイオリン・ソナタの名作。第一楽章は感情がほとばしる情熱的な曲なので、男女の感情の揺れをよく表していると言える。この曲が題名になったのは、ポズドヌイシェフの妻の前に現れた男がバイオリニストであることから容易に推測が付くだろう。
本書の作品でトルストイは男女の愛は精神的な結びつきが大切だと言いたかったらしい。自分も長い結婚生活を通じて、とっくに結婚に幻想は持てなくなった。それ故、トルストイの意に反して、「クロイツェル・ソナタ」を読んでもポズドヌイシェフの意見に与してしまう。下記は生きる目的と愛につてポズドヌイシェフが「私」に言って聞かせる意見。
人間が愛によって結びついているというなら、それを妨げるのは欲望だ。その欲望の中でも最も悪質なのが肉体的な性愛だ。そんな欲望が根絶されれば、人びとは一つに結び付き、人類の目的は達せられる。そうなってしまえば生きている理由はなくなる(49頁)。
「クロイツェル・ソナタ」のポズドヌイシェフが、トルストイの作品にしては珍しくドストエフスキー的な人物に読めた点も面白かった。ポズドヌイシェフは意見が過激な上、その過激な意見を持つに至ったに深い裏があるようで、この点がドストエフスキーの登場人物っぽい。一方で、「悪魔」の方はいかにもトルストイらしい作品になっている。
しかし、こうして読んでみると性愛を主題にした作品は、大作家のものと雖も、最近とみに変化が激しくなった考え方の変化についていけなくなってしまう感じがする。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:270
- ISBN:9784102060117
- 発売日:1974年06月01日
- 価格:460円
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