ウロボロスさん
レビュアー:
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安部氏がその小説の中に、会話の天才をみごとに活かし、「砂の女」よりも「他人の顔」よりも、はるかに迅速に疾走してみせた小説である。》 ━━ 三島由紀夫氏評━━
《その枯れ葉の下で、女はするりと裸になり、手と脚だけが、むき出しになって開かれる・・・風が吹いてきて、顔の部分をとりのぞく・・・すると、その顔がふとレモン色のカーテンの向うの女に変わり・・・(中略)そこに現れたのは、予期していた裸のかわりに、ただの黒い空洞だけ・・・(中略)底なしの井戸のような空洞だけを残し・・・》
失踪した男の捜索依頼を受けた探偵は、その失踪した男の妻とそのヤクザの弟、会社の部下など怪しげな人物の非協力的態度に弄ばれるが、常に同時に、冒頭にかかげた本文中の《レモン色のカーテンの向うの女=依頼人》の魔性の魅力にとり憑かれたように捜索をつづける。探偵はヤクザの弟へのある屈折した嫌悪と憧憬のうちに途方に暮れるが捜索を諦めない。
そうこうするうちに、ヤクザの弟は、組どうしの抗争のはてに惨殺され、その生命保険の受取人がその姉である依頼人であることが後でわかる。
失踪者とその妻とそのヤクザの弟の三者の関係の解像度が上がればあがるほど失踪者の謎は深まるばかりである。
失踪の謎は焦点を結ばず拡散、無意味化し、主人公のアイデンティティーは崩壊してゆく。都会の孤独、不条理。シュールな挿話による異化作用として以下のタームがちりばめられる。
「喫茶つばき」「マッチ箱」「レモン色のカーテン」「色違い(白と黒)のマッチの軸」「記憶の意味」というタイトルのアルバム写真、「後ろ姿だけのヌード写真」「ゆすり」「違法な配車斡旋業」...。これらの単語の意味のイメージの変容の裡に、都市も自然も渾然として次のように描写される。
《「青いなあ。」と、制服姿の中学生が、空を見上げてびっくりしたような声をあげる。(中略)
「すげえな、まっ青だなあ。」(中略)
空はアルミの粉をまぜたように、堅く輝き、その表面を、薄くひろげた真綿のような雲が、北西から南東にむかって疾駆する。太陽は、右手斜めにあり、すべての影が、道路と直角に交わっている。》いやーこの文章には痺れました。
失踪人を捜す男の前に現れる手掛かりだけが、ミルフィーユのように積層されるがどこにも辿り着かない。失踪人、その妻、その同僚の顔は底知れぬ闇のような空洞に転じ、いつしか自分の顔すら消えてしまいそうな不安と恐怖がサスペンスの意匠を凝らして展開する。はたして結末やいかに...?
20代の頃にこの『燃えつきた地図』を読み、自分のアイデンティティーが足元から崩壊してゆくような熔け落ちていくような感覚を覚えた。
再読してわかったことは、以下に三島氏が指摘されているように、卓抜な会話の冴えがかがやいているように感じました。
《これは動いてゐる小説である。動いて、動いて、時々おどろくほど鮮明な映像があらはれながら、却つて現実の謎は深まつてゆく。たえざるサスペンス、そして卓抜な会話が社会の投影図法を描き、犯罪の匂ひと、尾行と襲撃と、……その結果、イリュージョンがつひに現実に打ち克ち、そこから見た現実自体の構造が、突然すみずみまで明晰になる。ラストのモノロオグが、この小説の怖ろしい解決篇であり、作品全体の再構築であるところに、一篇の主題がこもつてゐる。失踪者の前にのみ、未来が姿をあらはすのだ。安部氏がその小説の中に、会話の天才をみごとに活かし、「砂の女」よりも「他人の顔」よりも、はるかに迅速に疾走してみせた小説である。》 ━━ 三島由紀夫氏評━━
失踪した男の捜索依頼を受けた探偵は、その失踪した男の妻とそのヤクザの弟、会社の部下など怪しげな人物の非協力的態度に弄ばれるが、常に同時に、冒頭にかかげた本文中の《レモン色のカーテンの向うの女=依頼人》の魔性の魅力にとり憑かれたように捜索をつづける。探偵はヤクザの弟へのある屈折した嫌悪と憧憬のうちに途方に暮れるが捜索を諦めない。
そうこうするうちに、ヤクザの弟は、組どうしの抗争のはてに惨殺され、その生命保険の受取人がその姉である依頼人であることが後でわかる。
失踪者とその妻とそのヤクザの弟の三者の関係の解像度が上がればあがるほど失踪者の謎は深まるばかりである。
失踪の謎は焦点を結ばず拡散、無意味化し、主人公のアイデンティティーは崩壊してゆく。都会の孤独、不条理。シュールな挿話による異化作用として以下のタームがちりばめられる。
「喫茶つばき」「マッチ箱」「レモン色のカーテン」「色違い(白と黒)のマッチの軸」「記憶の意味」というタイトルのアルバム写真、「後ろ姿だけのヌード写真」「ゆすり」「違法な配車斡旋業」...。これらの単語の意味のイメージの変容の裡に、都市も自然も渾然として次のように描写される。
《「青いなあ。」と、制服姿の中学生が、空を見上げてびっくりしたような声をあげる。(中略)
「すげえな、まっ青だなあ。」(中略)
空はアルミの粉をまぜたように、堅く輝き、その表面を、薄くひろげた真綿のような雲が、北西から南東にむかって疾駆する。太陽は、右手斜めにあり、すべての影が、道路と直角に交わっている。》いやーこの文章には痺れました。
失踪人を捜す男の前に現れる手掛かりだけが、ミルフィーユのように積層されるがどこにも辿り着かない。失踪人、その妻、その同僚の顔は底知れぬ闇のような空洞に転じ、いつしか自分の顔すら消えてしまいそうな不安と恐怖がサスペンスの意匠を凝らして展開する。はたして結末やいかに...?
20代の頃にこの『燃えつきた地図』を読み、自分のアイデンティティーが足元から崩壊してゆくような熔け落ちていくような感覚を覚えた。
再読してわかったことは、以下に三島氏が指摘されているように、卓抜な会話の冴えがかがやいているように感じました。
《これは動いてゐる小説である。動いて、動いて、時々おどろくほど鮮明な映像があらはれながら、却つて現実の謎は深まつてゆく。たえざるサスペンス、そして卓抜な会話が社会の投影図法を描き、犯罪の匂ひと、尾行と襲撃と、……その結果、イリュージョンがつひに現実に打ち克ち、そこから見た現実自体の構造が、突然すみずみまで明晰になる。ラストのモノロオグが、この小説の怖ろしい解決篇であり、作品全体の再構築であるところに、一篇の主題がこもつてゐる。失踪者の前にのみ、未来が姿をあらはすのだ。安部氏がその小説の中に、会話の天才をみごとに活かし、「砂の女」よりも「他人の顔」よりも、はるかに迅速に疾走してみせた小説である。》 ━━ 三島由紀夫氏評━━
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これまで読んできた作家。村上春樹、丸山健二、中上健次、笠井潔、桐山襲、五木寛之、大江健三郎、松本清張、伊坂幸太郎
堀江敏幸、多和田葉子、中原清一郎、等々...です。
音楽は、洋楽、邦楽問わず70年代、80年代を中心に聴いてます。初めて行ったLive Concertが1979年のエリック・クラプトンです。好きなアーティストはボブ・ディランです。
格闘技(UFC)とソフトバンク・ホークス(野球)の大ファンです。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:401
- ISBN:9784101121147
- 発売日:1980年01月01日
- 価格:620円
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