SF小説とは、現実にはない状況で、何が起きるか、人は何をするのか、それらを考えるためのシミュレーションとしての一面があると思っている。ロボットと共存する社会。身体を機械化して生き永らえることが可能な世界。人間とは何か。生命とは何か。日常とは異なる極端な条件で行う思考実験。決して「荒唐無稽なあり得ない話」として否定するだけのものではない。
『シン・ゴジラ』はゴジラという怪獣を描くだけに終わらず、現代日本に巨大生物が現れたらどんな事が起きるか、人々はその怪異とどう出会い、どう対応するのか。それらを描くことにアプローチする、それまでのシリーズ作品とは異なる新機軸の魅力を感じた。
突如として東京が巨大な雲に覆われ、内部との連絡が途絶える。半径30km。高さ1000m。内部を伺うことも、中に足を踏み入れることもできない謎の壁。
首都機能を失うということはどんな事なのか。政府は消え、東京に集中した企業の運営も停滞する。機能不全を起こす日本の隙を狙う諸外国の動き。明日の生活はどうなるのか。一体いつまで続くのか。
ゴジラが吐く、内閣総辞職ビームも霞む大惨事である。
防衛。経済。そして政治。それらに揺るがされる個人個人の生活。命令系統が崩れる。資金が枯渇する。出版物が発行されなくなる。きっとこれらは、謎の雲に覆われたりしなくても、例えば首都直下地震が起こればあり得ること。そんな方面でのシミュレーションとしての一面は確かにある。
そしてそれらの描写を支えているのは作者の博識。よくぞここまで思いつく、と思わせる話題の広がりは、博覧強記との表現がふさわしい。
が、ちょっとそれだけに力を入れすぎではないか。雲とのファーストコンタクトや、その上空を観測機で飛行しようとするあたりは、文字通り手に汗握る緊迫感でその先どうなるのか、楽しみに読み進めたのだが、下巻に入っても政治関連の動きばかりが続き、ペースダウンの感は否めない。ことに、雲の中に妻子が飲み込まれてしまった男と、若い女性が踏み込んだ、恋愛でもない、男女関係の描写など、必要なのかと思ってしまう。もっと書いてほしいことは別にある。
解説では「シミュレーション小説」と連呼され、確かにその価値は認めるのだが、『日本沈没』にしろ『復活の日』にしろ、それでは終わらぬ面白さがあったはず。「起」の部分も、「結」でさえもなくても、物語は成立するだろうが、さりとてこの小説がそれで成功しているかと言えば、そんなふうには思えない。
【読了日2026年5月23日】
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