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おかゆの中で煮える子どものメルヘンに亡命家族の不安と少女の傷が重なる自伝的小説

その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか
書店の売り場で棚をながめて歩くと、本の表紙に目を奪われる。デザインに惹かれる場合もあるし、タイトルに惹かれることもある。その本を手に取り、迷わず購入なんてこともある。ジャケ買いというやつだ。

本書「その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか」は、タイトルに興味を惹かれて購入した。子どもがおかゆの中で煮えているとは、いったいどういう状況なのか。その答えを知りたくなってしまう。寓話的な物語なのだろうか。だが、実際に読んでみると物語の背景にある著者の生い立ちや社会情勢などについて考えさせるものだった。

帯の惹句を引用する。
地獄は天国の裏にある。
ピエロの父、曲芸師の母、踊り子のわたし――
祖国を逃れ放浪生活を送る、サーカス一家末娘の無垢の物語
39歳で非業の死を遂げた
伝説の作家が唯一遺した自伝的傑作!

物語は4部構成になっている。すべてに共通して語り手はサーカス一家の末娘である“わたし”。まず第1部では、一家がサーカス団として各地を回る生活が描かれる。父はピエロ、母は束ねた髪で天井からぶら下がって演じる曲芸師だ。わたしは、両親が働いている間、母が転落して死ぬかもしれない、大怪我をするかもしれないと怯えている。そんな彼女に姉が語って聞かせるのが、『おかゆのなかで煮える子ども』のメルヘンだ。
母さんが髪の毛だけでサーカス小屋の丸天井からぶら下がっているとき、姉さんはわたしを安心させるために、おかゆのなかで煮えている子どものメルヒェンを話してくれる。
その子どもがどんなふうに煮えているか、どれほど苦しいかを想像すれば、母さんが墜落するかもしれないってずっと考えなくてもすむでしょ、と姉さんは言う。

サーカス一家の物語と書くとどこか楽しげな雰囲気を感じるかもしれない。母が危険な曲芸を演じていることに不安を感じる妹を励ますためにメルヘンを話し聞かせる姉という姉妹の姿は微笑ましく感じるだろう。しかし、この一家の背景にある現実を知ると、物語は一気に不穏なものへと変貌する。

一家は、チャウシェスク政権下のルーマニアから国外へ亡命し、祖国に戻れば死刑になる立場に置かれている。祖国には、まだ残されている親戚や友人たちがいる。彼らの身を案じながらも、祖国には戻ることはできずサーカスでは笑顔で演じなければいけない。そんな現実を考えたとき、おかゆのなかで煮えている子どものメルヘンには深い意味が込められているのだと感じられる。

第2部では、わたしと姉はシュナイダーさんという人物に連れられて山奥の施設に預けられて暮らすことになる。それまで学校に通うこともなくサーカスという狭い世界で生きてきたわたしにとって、同世代の子どもたちと集団で暮らすことは不安でしかない。姉とずっと一緒にいたいが、別々に行動することを求められる。
両親はわたしたちを売り飛ばしたのかもしれない。ルーマニアではよくあることだ。

わたしのそんな不安に心が痛くなる。閉塞的な生活の中で、姉妹はおかゆのなかの子どもの話をどんどん残酷なものにしていく。それは、彼女たちが不安に苛まれる中で心を壊していくプロセスでもあると感じる。第2部のラストでわたしが書く作文に延々と、「そして、子どもはほしくない。」と書き連ねるのは、彼女の心が完全に壊れてしまったことを意味しているのだろう。

第3部でわたしは母に引き取られ、母の愛人と暮らすことになる。成長したわたしは“女”としてみられるようになり、ナイトクラブで踊るようになる。舞台の上に置かれたベッド、透けるネグリジェ。電話のベルが鳴り、身体をくねらせて受話器を取る。ゆっくりと脚を撫で、客席の男たちから下卑た口笛を浴び、写真をばらまき、触らせる。そんな、ほとんどストリップのような演目だ。そんな演技をさせられている娘が“処女”であることに固執する母という描写が、胸糞が悪くなるほど生々しい。

そして第4部。わたしはおばに引き取られる。最後にわたしには安住と平穏のときが訪れるのかと期待する。学校に通い、仕事をし、演劇を学ぶ。このまま幸せになれるのかと思ったところで物語は唐突に終わりとなる。幸福な未来を約束するわけでも、地獄からの脱出を感動的に描くわけでもない。

訳者あとがきを含めても200ページちょっとの短い作品だ。しかし、その内容は短文の積み重ねで構成される独特な文体もあって、とても印象に残る。読後にはずしりと重い感じがあり、その重さが、わたしや家族が経験する悲惨さを伝えている。ときにブラックユーモアめいた軽さもあり、それが更に物語の印象を忘れがたいものにしている。

著者のアグラヤ・ヴェテラニーは、ルーマニアの出身。本書の主人公“わたし”は、著者自身である。著者は、チャウシェスク独裁政権下のルーマニアから1967年に亡命し、1977年にスイスに定住するまで各地を放浪して暮らした。それまでまともに教育を受けられなかったため、定住して学ぶまで文字を読むことができなかった。定住後にドイツ語をマスターし、演劇学校卒業後は演劇の仕事をしながらさまざまな文章を発表し、本書が高く評価されたことで有名作家となった。

本書は、文章のリズムが特徴的な作品だ。短いセンテンスで改行を多用して文章を重ねていく。ところどころで書体が変わったり、強調されたりする。この部分は、日本語版でも太字で表記されている。こうした文章のリズムや書体の変化は、語り手であるわたしの心の叫びや不安、強迫観念のようなものが表現されているのだと思う。

タイトルの由来でもあり、作中でも語られる「おかゆの中で煮える子ども」のメルヘンがどういう話なのか作中では明確に語られない。訳者あとがきには、「おかゆのメルヒェンといえば鍋からいくらでもおかゆが溢れてくるグリムのメルヒェンが有名で、子どもが煮られてしまう話は出典が見つけられなかった」と書かれていて、このメルヘンが実在する民話なのか著者の創造によるものなのかはわからない。だが、このメルヘンの存在が物語の中でわたしの心のよりどころであり、一方でその残酷さがわたしがおかれた境遇や独裁政権下のルーマニアという抑圧された環境の象徴にもなっていることは強く意識しなければならないだろう。

読者にさまざまな問いを投げる作品だと思う。ラストシーン以降にわたしはどのような運命をたどるのか。家族はどのような運命をたどるのか。明確な区切りをつけずに物語を終わらせることで、読者は物語のラストをわたしの少女時代の終わりとも、家族としての関係の終わりとも解釈することができる。物語の終わりというひとつの場面にいくつもの終焉が凝縮されているのだと感じた。
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  • 掲載日:2026/05/24
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