皇帝クラウディウスと聞いて何を思い浮かべるだろう。
小児麻痺を患った影響から下肢に麻痺が残り、予定された演説など以外では吃音が激しく、どもりながら口の端から涎を垂らしながら話す彼を、同時代人や後世の人々は遠慮なく『片輪者』と断じた。家庭生活でも妻の尻に敷かれ、皇帝即位後も配下の官僚たちから良いように利用された暗君という印象も強い。しかしカエサル以来の本格的外征であるブリタニア遠征に取り掛かって存命中に一定の成果を挙げたり、これまたカエサル以来の属州出身者への元老院議席開放の必要性を訴えて開国路線の舵取りをしたりという立派な功績も持つ男・・・
てなことを思いつくのは一部の歴史好きだけであろう。多くの人々にとっては「クラウディウス? ああ、歴史の授業で聞いたことあるかな。興味? とくにないっす」といったところだろう。「それ何した人?」と聞かれても、その凄さを説明するには『ローマ帝国の成り立ち』という興味のない人間には知ったこっちゃないことこの上ない事々の説明から始めねば分かってもらえない・・・。悪名高き”狂帝”カリグラと”暴君”ネロという徒花二人に挟まれた甲斐あって、クラウディウスはまっこと地味な皇帝である。
本書はそんな地味なクラウディウス帝が2,000年後に生きる我々に向けて書いた、皇帝一族の派手で醜い権力闘争の内幕を忌憚なく語り起こす秘かな歴史書という態をとった歴史小説である。タキトゥスやスエトニウス、ヨセフス・フラヴィウスやカシウス・ディオなどの古代史家の著作から史実を広く渉猟したことで歴史研究者のお墨付きを得るほど確かな考証を誇り、現存する限りの同帝の演説記録や書簡の文体までをつぶさに研究したことからクラウディウスの”口調”の再現に成功した、精度の高い歴史小説ということである。
まあその辺は本書末尾の解説の受け売りで、確かに本書中に展開する物語の多くは史書で読み覚えのあるエピソードのオンパレード。クラウディウスの”口調”については、まぁ古典ラテン語もギリシア語も解さない私はその手の文章を翻訳で読んだことがあるきりだから判断のしようもない。このへんは『だそうですよ』という程度のご紹介である。
というわけで物語の内容としては各種歴史書のパッチワークという感じ。上記のような物語成立の「内幕」を勘定に入れなくても、権力との「接触度」で言えば前述の史家たちと大差ないクラウディウスだから、いや、身体障害を理由に一切官職を経験させてもらえなかったという点では史家たち以上に『権力の外側』にいたクラウディウスだから、彼の記述内容やスタンスが歴史家たちと変わりがなくても物語の「設定上」も当然っちゃあ当然なのかもしれない。
ただ独特なのは、本書で展開するエピソードのほぼすべての黒幕としてアウグストゥスの後妻であり、ティベリウスの母であり、カリグラの曾祖母であり、クラウディウスの祖母である、リウィアの影があったのだとする点である。いや、影どころか彼女こそがローマ帝国の真の権力者であったという内幕が明かされる。この”台風の目”を中心に巻き起こる権勢と愛欲に塗れた宮廷劇がクラウディウスの目を通して語られてゆく。
吃音と下肢麻痺をあげつらわれ、周囲からは
阿呆のクラウディウス
と侮られ、
クラウ・クラウ・クラウディウス
と嘲られ、実の母からは
人のかたちをした凶兆
と呼ばれ、甥や姪たちでさえ
かわいそうなクラウディウスおじさん
と呼ばれるクラウディウスは物心ついて以来精神面や知的な面でも肉体同様貧弱だと決めつけられ、皇族としてどころかまともな人間としてさえ扱われない日々が続いた。兄弟や従兄弟たちが政務や軍務を経験していくなかなんの役目も割り振られず、ただ余計者として扱われる日々。
しかし彼は決して意志薄弱でも知的な遅れがあるわけでもなく、むしろ権勢欲と疑心暗鬼に右往左往する同族に比べればはるかに健全な精神を保持しながら成長してゆく。
有能だが狡猾で陰険この上なかった恐るべき悪女リウィア、彼女の呪縛を振り切ろうとしながらも結局はその存在に絡め捕られるアウグストゥスとティベリウス、その悪徳を見込まれてリウィアのお気に入りとなり、彼女の死後狂乱の限りを尽くすカリグラ、一族に取り入って栄光を極めながら間もなく真っ逆さまに転落していく野心家たち、陰謀の的にされ処刑や自死の憂き目を見る元老院議員や富裕者たちetc...
クラウディウスを「出来損ないの病人」と罵り嘲る彼らこそが実は権勢欲に憑りつかれた病人であり、彼らが病魔にのた打つ様をこの「出来損ないの病人」は、明晰な頭脳でときに冷徹に、ときに憤りに満ちながら、ときに滑稽に書き記す。読み進めるうちに史書のパッチワークを読む退屈さから抜け出し、クラウディウスというアウトサイダーの人物像を読む愉しみが取って代わる。
また歴史家としての才覚を見いだした数少ない理解者アテノドロスとの出会いとその薫陶を受けた日々、老歴史大家リウィウスやポッリオとの出会い、尊敬する兄ゲルマニクスと兄貴分の親族ポストゥムスとの友愛、苦い初恋や大女ウルグラニッラとの奇妙な結婚生活など―まあ大抵陰惨な末路を迎えるけれど―のクラウディウスの人柄に寄り添うようなエピソードも散りばめられており、陰鬱一辺倒のドロドロ宮廷陰謀劇の連続を読まされてウンザリするということもない。
物語はカリグラ暗殺、思いもがけないクラウディウスの擁立で終わる。その後の皇帝としての彼の活躍、というより受難は続編である『神、クラウディウスとその妻メッサリーナ』で展開するようだが未翻訳だそうである。
ううむ、残念。いや、しかし全編を通じて我々に親しく語りかけ、一途に歴史を志すクラウディウスが政務のストレスに苛まれ、悪妻メッサリーナにウンザリし、挙げ句の果てに後妻アグリッピニッラに毒殺されるという末路は敢えて読みたいとは思わないけれど・・・。
さて、読者よ。この常軌を逸した事態のさなかに私の脳裏をよぎった想念ないし記憶はなんであったとお思いか?(・・・)私はこう思っていたのだ。―「私が皇帝だと? ばかばかしい! しかしこれでわが著作を人々の前で披露することができるぞ。大勢の聴衆のための公的な朗読会だ。あの著作は優れたものだ。何しろ三十五年にもおよぶ努力の結晶だからな。そうやっても悪くなかろう。(・・・)わが『カルタゴ史』には興味深い逸話が多数収録してある。皆喜ぶに違いない」
なんていじましいクラウディウス。もうカリグラ暗殺のどさくさで死んだことにでもして、どこかの僻地で歴史研究に没頭させてあげたいなぁ。でもそうすると文献を探しにくくなるから痛し痒しなんだろうなぁ。でも末路を思うとなぁ・・・。とアレコレ下らないことを考えてしまうのだから、しっかりとこの「クラウ・クラウ・クラウディウスおじさん」に感情移入しちゃったようである。
さてさて、『身障者なんて生きる価値なし』、『産めよ増やせよ』、『権力者に気に入られるためならエンヤコラ』という、なんだか現代っ子のこちとらもしょっちゅうどこかで聞かされてゲンナリするような価値観が、現代とは比べ物にならない高濃度で漂っていたであろう古代世界を、しかも多大な権力を握った一族を中心とする古代世界を、現代人に感情移入しながら読ませるにはクラウディウスはもってこいの語り手かもしれないと思う。 学者のように浮世とは遠い知識人ならいざしらず、権力の側近くにいる古代人に感情移入させようと思えば現代的なキャラクターを創作するか、古代人を現代人的な心性で語らねばならないため下手をしたら創作臭くなりすぎ、かといってあまりに剥き出しの古代人だと読み手には単なる遠い過去の人になってしまう。各時代を通して皇帝の孫、甥、叔父という極めつけのインサイダーでありながらアウトサイダーであることを強いられ、浮世離れせざるを得なかったクラウディウスの目を通すことで、現代人に近すぎる小説でもなく、遠すぎる歴史書でもない位置から物語を追っていけるのではないか、と小賢しいことを考えたりする。
***
(以下おしゃべり)
毎度のこととはいえ古代ローマの「言いがかり」エピソードときたら失笑なしでは読めない。家康の「国家安康」「君臣豊楽」なんて可愛らしく思えるほどである。作中に登場するエピソードとして次のようなものがある。ティベリウスの治世中、ある元老院議員の屋敷の門にこのような落首が貼ってあった。
近ごろあいつは酒に溺れない
以前ほどにはね
豪勢な盃で、殺した男の血を呑んで
体はポカポカあたたかい
妻「これ、どういう意味なの?」
夫「人前で口にするのは剣呑だよ」
密告者「御注進!」
ティベリウス「”剣呑”とはどういう意味か? この落首は誰のことを指すと思っているのか?」
夫「いや、あの・・・」
テ「お前は私が若い頃には深酒を非難され、医者に止められてからは血に飢えているという非難をされているということを知らないのか?」
夫「それは知っておりましたが、それと今回の落首が関係あるとは・・・」
テ「知っていたならなぜ届け出なかったのか」
夫「いや、その当時は権力者非難の落首は処罰の対象ではなかったので・・・」
テ「当時とはいつの話か」
夫「あなたがロードス島におられた頃です」
テ「私が公務を放り出して引き籠っていた頃の話ではないか。わるかったな! お前なんか死刑!」
夫「・・・」
この手のエピソードを読むたびに少なくない数、いやもしかしたら大半が歴史家その他が考えた小噺なんだろうなーと邪推してみたりする。あと、この時代にICレコーダーを持ちこんだらさぞかし大儲けができることだろうなー、とか。
なに? 充電できないだろって? いや、ソーラーバッテリーを使えばあるいh...(下らないので終了
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