NHKの10分de名著にウィトゲンシュタインが取りあげられていたので再読してみた。
本書は1889年、世紀末のウィーンでユダヤ系の大ブルジョアの家に生まれたウィトゲンシュタインが、第一次大戦中に書いた言語に関する哲学書「論理哲学論考」誕生の背景を考察したものです。著者らはイギリスに渡ってからのウィトゲンシュタインを知っていましたが、彼が第一次大戦直後に出版して評判になったこの「論考」の背景が、19世紀末のウィーンの精神風土にあったことをこの本で立証しようとしています。
第一次大戦後には東欧の二大帝国が消滅しました。オーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国です。後者は今でもプーチンのロシアとして燻ぶっていますが、オーストリア=ハンガリー帝国の方は影も形もありません。
さて、ウィトゲンシュタインの「論考」は言語の機能に関する考察ですが、その有名な結論は「言語で表される物事には自ずから限界があって、その限界を超えた物事については言葉を使って語ることができない」というものでした。
著者らはこの結論が出てくるまでの道筋をドイツ哲学のカントから始まり、ショーペンハウエル、キルケゴールへと辿りますが、同時に科学に関する19世紀末の大きな論争についても注目しています。
というのも、ウィトゲンシュタインは哲学を研究する前には工学の研究者を目指していて、ウィーン大学でボルツマンに物理学を学ぼうとしていました。しかしそのボルツマンはウィトゲンシュタインの進学前に精神を病んで自殺してしまいます。
そのボルツマンの自殺の原因とされているのが、有名なエルンスト・マッハとの論争なのです。ボルツマンは画期的な分子統計熱力学の理論を作り上げますが、マッハはこれを徹底的に攻撃しました。この論争の主要な観点がウィトゲンシュタインの「論考」に反映されていると著者らは考えています。ウィトゲンシュタインは当然ボルツマンの支持者だったでしょう。
マッハの科学論は極端な経験主義でした。直接観察から得られた理論以外は「形而上学」だとして科学(物理学)から排除しようとしました。一方のボルツマンの仕事は当時はまだ見ることも実験で存在を証明することもできなかった原子の熱運動の理論でした。
当時も既に原子や分子という粒子があって、真空中を熱運動していると考えると気体の熱膨張などの現象が説明できることは知られていました。しかし原子は経験から得られたものではないので、マッハはボルツマンの理論を受け入れませんでした。当時はマッハの名声は高く信者も多かったのでボルツマンは彼らからの非難に耐えられなかった思われています。
ボルツマンの理論が画期的だったのは、原子の存在を前提としたのと同時に、多数の原子の集団であるガスの物理状態を、原子一個一個の運動ではなくて、原子の運動エネルギーを原子の集団全体の中での確率として統計的に扱ったことです。これにより無数の原子一個づつの運動を知らなくてもガス全体の様子が熱力学で扱えるようになりました。これは後の物理学に革命を起こす量子力学の先駆けだったと言われています。つまり確率を物理学の理論に堂々と持ち込んだからです。
実はマッハとボルツマンの中間にヘルツという物理学者がいました。彼はマックスウェル方程式から予測された電波の実在を初めて実験で証明した人ですが、マッハの硬直した経験主義的な物理学を批判しています。マッハは物理学の成り立ちを外側から厳しい条件により制限しましたが、ヘルツは物理学の理論は一つのモデルであり、複数のモデルが同時に成立しても構わないことを示し、マッハ流の科学への外側からの締め付けを外し、科学を規定する条件は科学の外部(形而上学)にあるのではなくて科学の内部にあるとしました。ボルツマンはこのヘルツの考えに共感していたようです。
著者らの結論を先に書くと、ウィトゲンシュタインの試みは論理(言葉で表せるもの)と倫理(言葉では表せないもの)の境界線を、論理の側から明らかにするものだったというのです。
物理学に戻ると、アインシュタインが1905年にブラウン運動の理論を発表し、原子や分子の存在が疑う余地のないものとなりますが、その直前にそれまではマッハの支持者だったマックス・プランクが黒体輻射の理論を発表し、黒体からの輻射のエネルギー分布を説明するにはエネルギーが飛び飛びの値を取る必要があることを明らかにしていました。これが量子力学の最初の成果だとも言われています。
こうして物理学の世界では量子力学全盛の時代が始まったのですが、ウィトゲンシュタインの言語哲学もこの潮流と無関係ではないと思われます。
「論考」中に以下のような記述があります。
「事態の存在および非存在の可能性を表すことによって、画像は実在を描写する。画像は論理的空間における可能な事態を表す。」
画像とは数学的なモデルのことで、可能な事態とは統計的に許された事態でしょう。ボルツマンの分子統計力学に書いてあっても可笑しくない内容ですね。
本書の著者らはウィトゲンシュタインが「論考」を書いた目的は以下の2点を明らかにするためだったとしています。それは(1)論理学では物理現象の数学的モデルに類似した世界についての表現ができるが、しかし(2)倫理、価値および人生の意味については記述的言語の限界外なので間接的な(詩や寓話や警句などによる)伝達によってしか伝えられないこと。
ウィトゲンシュタインが書きたかったのは無論(2)であって、倫理については論理で語ることが出来ないことを示すのがウィトゲンシュタインが「論考」を書いた目的だったと。第一次大戦で死線をくぐり、また兄弟たちを自殺で失った彼が生きる意味について考え続けていたとしても不思議ではありません。
つまり、生きることの意味は直接言葉では語ることはできないので、例えば実際に生きる姿をみせることでそれとなく示すしかないのです。彼が第一次大戦後に哲学を一時止めて小学校の教師になったのも自分の生きる姿を子供に見せるためだったのかも。
その後ウィトゲンシュタインはイギリスに渡ってフレーゲとかラッセルといった英国の学者たちと研究しますが、ウィトゲンシュタインの真の意図は彼ら英国人には解らなかったのかもしれないと言います。ウィトゲンシュタインの問題意識は彼が育った世紀末ウィーンの精神風土に強く根差していたからです。
最終章は「論考」へのその後の反響(と誤解)についてですが、かなり長くなりましたのでこの辺で本書の紹介を終えたいと思います。
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