ドイツのとある男爵のお城に、気立てが良く優しい若者がいた。
そのまっすぐな心と素朴な気質故に“カンディード(純真)”と呼ばれていた若者は、男爵家にゆかりのある方の私生児らしかったが、確かなことはわからない。
男爵家の嫡男とその妹のクネゴンデ姫と共に育てられたカンディードは、家庭教師パングロスの教えに素直に従い、疑うことがなかった。
パングロスは最善説を唱える哲学者で
ものごとの結果にはかならず原因があること、この世界は存在しうる世界のうちで最善のものであること
を教え子達に常々説いていた。
やがて、師の教えに忠実な生徒であったカンディードとクネゴンデ姫は当然の結果として惹かれあい、これまた当然の結果としてくちづけをかわす。
ところがあろうことかその原因と結果の現場を男爵に見とがめられ、カンディードは城から追放されてしまうのだった。
兵隊に引きずり込まれ、軍法会議にかけられ、人に助けられたと思えば乗っていた船が難破、連れが処刑されたり、そんなつもりはなかったのに人を殺してしまったり、突如として大金持ちになったり、海賊に襲われたり、死んだはずの人と再会したり、大事な人と生き別れたり……とカンディードはめまぐるしい人生を送っていくことになるのだが、その都度いつも考えるのだ。
「あの出来事がこうなるための原因なのか、とすればこれが最善なのか」……と。
詩人であり、作家であり、啓蒙思想家もあるヴォルテールの代表作『カンディード』は、「ありえな~い!」と思わず笑ってしまうようなほら話が次々飛び出してくるコメディタッチの物語なのだが、そのくせ、腐敗した宗教者たちを告発し、権力者たちをこきおろし、最善説(オプティミズム)に大きな疑問をなげかけもする。
病のために片目と片耳をなくし、絞首刑を宣告されても奴隷となっても、“この世はありうる世界の中で最善のもの”と言い続ける哲学者パングロスに対し、カンディードが最後に出した答えは、(なるほどそうきたか!)と思わずうなずいてしまうものではあった。
けれどもカンディードほどではないにしろ波乱に富んだ人生を送ったはずのヴォルテールにはカンディードのような純真さはかけらもなく、柔軟性はあったかもしれないがパングロスのような一貫性もなかったことや、権力者を揶揄しながらも権力者におもねることも厭わなかったであろうその生き様を思い浮かべたとき、彼は鍬の一本も持ち上げたことがあったのかしら?と私はついつい苦笑いしてしまうのだ。
この光文社古典新訳版の一番のウリはなんといっても「リスボン大震災に寄せる詩」の完訳が収録されていることなのだが、この詩を読むとヴォルテールがいかに最善説(オプティミズム)と決別したかがよくわかる。
彼の思想や生き様の善し悪しは別として、詩でも物語でも自分の頭の中にあるあれこれをこれほどわかりやすく、人々に受け入れやすい形で表現できる才能にはやはり舌を巻かざるを得ない。
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『ヴォルテール、ただいま参上!』
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