ゆうちゃんさん
レビュアー:
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クリスティーが夫の考古学者マローワン氏に同行したシリアでの生活体験記。シリアでの彼女は、文明から隔絶した世界に暮らしているにもかかわらず、とても楽しそうだ。異国体験とはこのようにありたいものである。
考古学者マックス・マローワン夫人としても知られるアガサ・クリスティーの発掘現場での生活雑記・見聞録である。本書は、クリスティー初のノンフィクションとのこと。
本書にはテルと言う言葉が多用されているが、説明がない気がする。このテルとは墳丘のことで、アラビア語の名詞:「人工の丘」から転じたもの。大きさや高さは様々で人間の生活・居住の痕跡が長い時間をかけ「堆(つ)み重なって」作られたものだそうだ。
本書は、イギリスでの出発準備(第1章)、どこを発掘するか決める予備調査(第2~3章)、発掘場所をシリアのトルコ国境近くのチャガール・バザールと言うテルに決め、そこでの発掘活動と生活(第4~11章)、チャガール・バザールに加えプラークやと言うテルの発掘(第8~11章)、帰国(12章)と感想を語るエピローグから成っている。マローワン氏は第二次世界大戦前に2回、戦後に1回、長期の発掘調査をしており、本書はその第2回に相当する。表題は、クリスティーのシリアでの生活ぶりのお話を意味するが、前書きを読むと発掘された遺物が現代に語りかける当時の生活も意味しているという。だが、評者が読んだところでは、それに割かれたのは296頁の僅かな記述だけのように思える。クリスティー自身は発掘隊の一員として写真の現像とバスケットボーイ(土を運ぶ若者)たちの仕事を監視する仕事を請け負っている。
それにしても、シリアでのクリスティーはとても楽しそうである。彼女の作品からは外国人差別と言える表現が読み取れる部分があるが、本書のクリスティーからはとてもそんなことは想像できない。アラブ人やクルド人との文化や慣習の違いを本当に楽しんでいるようだ。
もちろんそんな感情には思いやりもある。
そして、シリアと言う土地を手放しで楽しんでいる。
確か看護師の経験のあるクリスティーなので、多少の医学の心得があるのだろう。シーク(土地を借りた現地の地主)の妻たちの体調が悪いと「診察」させられる。しかしシークの第一夫人に敗血症で入院を勧めた後になると、
それに診察の助言はどうもシークが活かさなかったように思える。
ここでは発掘隊の隊長(マローワン氏)はハワージャ(主人くらいの意味か)、その夫人(クリスティー)はハートゥーン(女主人くらいの意味か)と呼ばれ、大変権威があるように見える。そんな、ハートゥーンが手ずから料理をするとなると大変だ。
苛々させられる場面もある。宿舎にはスーブリと言う要領の良い若いボーイと、マンスールと言うのろまだが年長のボーイがいて、マンスールが年齢を嵩にボーイ長を任じている。主人夫妻の面倒は自動的にマンスールが見るのだが、これがまたなかなかの難敵であった。
アラブ人のやり方にも戸惑いはある。
値切るという習慣がここにも。
そして今とは雲泥の差の平和な世界が描かれる。
本書を読んで思うのは、第一次世界大戦後のこの中近東の平和さ、のどかさだ。これが20世紀後半を経て21世紀になって、何と変ってしまったことだろう。
そんな世界と別れる時には、思わず感情が出てしまう。
船に乗ってからも、
本書には著者自身の感情豊かな生活が楽し気に書かれている。もちろん、文明世界から隔絶しているのでそれなりの苦労はあったのだろう。これだけの年数居て、彼女はアラビア語がわからない(マローワン氏は堪能だったようだ)。だがそれでも、本書からは、多少の文句はあるものの、ただただ現地での生活を楽しむ、普通の女性が描かれるだけである。白人の上から目線で見るアラブ人像も無いとは言わない。しかし、クリスティーにしろ誰にしろ自分の文化を基準に世界を測るのではないだろうか。それを上から目線とか白人の視点と言うのはフェアではない気がする。
クリスティーの別の一面を知るに作品としてメアリー・ウェストマゴット名義の純文学作品が幾つかあるが、それらは重厚な重苦しい作品が多い。本書は、明るいクリスティーの一面が解る本である。ナイル殺人事件を始め、中東を舞台にした数多くの作品は、彼女のこうした生活体験に根差しているのだろう。また、彼女の推理小説の中には冒険に飛び込んでゆく女性がたくさん登場する。トミーとタペンスのタペンス、「茶色の服を着た男」に登場するアン、「バグダッドの秘密」のヴィクトリアなどなど。これらのキャラクターの根源は本書に現れている著者の一面ではないだろうか。
本書にはテルと言う言葉が多用されているが、説明がない気がする。このテルとは墳丘のことで、アラビア語の名詞:「人工の丘」から転じたもの。大きさや高さは様々で人間の生活・居住の痕跡が長い時間をかけ「堆(つ)み重なって」作られたものだそうだ。
本書は、イギリスでの出発準備(第1章)、どこを発掘するか決める予備調査(第2~3章)、発掘場所をシリアのトルコ国境近くのチャガール・バザールと言うテルに決め、そこでの発掘活動と生活(第4~11章)、チャガール・バザールに加えプラークやと言うテルの発掘(第8~11章)、帰国(12章)と感想を語るエピローグから成っている。マローワン氏は第二次世界大戦前に2回、戦後に1回、長期の発掘調査をしており、本書はその第2回に相当する。表題は、クリスティーのシリアでの生活ぶりのお話を意味するが、前書きを読むと発掘された遺物が現代に語りかける当時の生活も意味しているという。だが、評者が読んだところでは、それに割かれたのは296頁の僅かな記述だけのように思える。クリスティー自身は発掘隊の一員として写真の現像とバスケットボーイ(土を運ぶ若者)たちの仕事を監視する仕事を請け負っている。
それにしても、シリアでのクリスティーはとても楽しそうである。彼女の作品からは外国人差別と言える表現が読み取れる部分があるが、本書のクリスティーからはとてもそんなことは想像できない。アラブ人やクルド人との文化や慣習の違いを本当に楽しんでいるようだ。
彼女(宿舎の近くのクルド人の女性)らは泥小屋に住み、財産も幾つかの鍋くらいだが、彼女らの快活さも笑いも強制されたものではない。彼女らは人生を楽しいものとも、味わい深いものと見なしている(176頁)。
もちろんそんな感情には思いやりもある。
苦役の連続である労働者の女性にそんな問題(ヴェールを被らなくて良いというトルコの改革)は関係ないのではないかと私は思った(230頁)。
そして、シリアと言う土地を手放しで楽しんでいる。
世界広しと雖もここ(モースルと言う場所の近くのイェジッド族の聖地シーク・ハディ)ほど美しい平和な里はないだろう。・・・・私の生涯忘れられない場所だ。またその時、私の魂を捉えた、完全な安らぎと満たされた思い、それらも忘れられない(216、218頁)。
カウカブと言う死火山への小旅行が実現する。・・・、そこで昼食を摂った時、私は今更のように、どれほどこの土地を愛しているか、この暮らしがどれほど完璧で、満足すべきものかを実感する(328頁)。
確か看護師の経験のあるクリスティーなので、多少の医学の心得があるのだろう。シーク(土地を借りた現地の地主)の妻たちの体調が悪いと「診察」させられる。しかしシークの第一夫人に敗血症で入院を勧めた後になると、
第二夫人以下は私の衣装に興味があるだけのようだった(271~274頁)。
それに診察の助言はどうもシークが活かさなかったように思える。
ここでは発掘隊の隊長(マローワン氏)はハワージャ(主人くらいの意味か)、その夫人(クリスティー)はハートゥーン(女主人くらいの意味か)と呼ばれ、大変権威があるように見える。そんな、ハートゥーンが手ずから料理をするとなると大変だ。
調理場に見学の男たちが押しかけるので緊張する。その緊張から卵を落とすと、それさえも儀式だと誤解される(288頁)。
苛々させられる場面もある。宿舎にはスーブリと言う要領の良い若いボーイと、マンスールと言うのろまだが年長のボーイがいて、マンスールが年齢を嵩にボーイ長を任じている。主人夫妻の面倒は自動的にマンスールが見るのだが、これがまたなかなかの難敵であった。
だが私が家事の手順をマンスールに教えても却下される。茶殻はお茶を飲むためのもので床にまくものではない、云々。彼が本領を発揮するのは入浴で彼が全部仕切る。使い終わった水は玄関にまくので夕食後にうっかり外に出ると転ぶ(281~286頁)。
アラブ人のやり方にも戸惑いはある。
病院での(アラブ人作業員への)浣腸が屈辱的で死んだほうが良いという。これは我々と異なる価値観で適応するのは容易ではない。死は避けがたいことであり、それが早いか遅いかはアッラーの思し召しだ(189~190頁)。
作業員のひとりが5日の休暇を申請した。理由は牢屋に入らなければならないからだ(312頁)。
値切るという習慣がここにも。
スーブリは歯痛で休暇を取った。アレッポの医師にかかる。虫歯を抜く必要があり、20フランから値引きしてもらい18フランまで下げた。しかし、医者は歯痛が我慢できないだろうから、ともうこれ以上は値下げしない。スーブリは18フランで手を打つ代わりに4本抜いてもらったそうだ。痛くもない歯だがそのうち痛み出すだろうと言う(405頁)。
そして今とは雲泥の差の平和な世界が描かれる。
朝食後にアミューダーに向かった。・・・昼食を摂っていると老人がきて、何人かと聞く。イギリス人とわかり、ここはイギリスのものになったのかと聞かれた。20年前の第一次世界大戦の話をしたがピンと来ない。彼は鉄道で軍隊が行き来していたことを思い出した(333頁)。
本書を読んで思うのは、第一次世界大戦後のこの中近東の平和さ、のどかさだ。これが20世紀後半を経て21世紀になって、何と変ってしまったことだろう。
そんな世界と別れる時には、思わず感情が出てしまう。
ハセッシェへの街道を走りながら、私たちは最後にもう一度振り返る(363頁)。
船に乗ってからも、
(何をもの思いにふけっているのだと問う夫に)私は「これは本当に素晴らしい、幸せな生き方だと考えていた」と答える(416頁)。
本書には著者自身の感情豊かな生活が楽し気に書かれている。もちろん、文明世界から隔絶しているのでそれなりの苦労はあったのだろう。これだけの年数居て、彼女はアラビア語がわからない(マローワン氏は堪能だったようだ)。だがそれでも、本書からは、多少の文句はあるものの、ただただ現地での生活を楽しむ、普通の女性が描かれるだけである。白人の上から目線で見るアラブ人像も無いとは言わない。しかし、クリスティーにしろ誰にしろ自分の文化を基準に世界を測るのではないだろうか。それを上から目線とか白人の視点と言うのはフェアではない気がする。
クリスティーの別の一面を知るに作品としてメアリー・ウェストマゴット名義の純文学作品が幾つかあるが、それらは重厚な重苦しい作品が多い。本書は、明るいクリスティーの一面が解る本である。ナイル殺人事件を始め、中東を舞台にした数多くの作品は、彼女のこうした生活体験に根差しているのだろう。また、彼女の推理小説の中には冒険に飛び込んでゆく女性がたくさん登場する。トミーとタペンスのタペンス、「茶色の服を着た男」に登場するアン、「バグダッドの秘密」のヴィクトリアなどなど。これらのキャラクターの根源は本書に現れている著者の一面ではないだろうか。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:早川書房
- ページ数:427
- ISBN:9784151300851
- 発売日:2004年08月18日
- 価格:798円
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