ビシャカナさん
レビュアー:
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「あり得るかもしれない」想像力を、現実が追い越した後
アマチュア作家たちによるショートショート作品集シリーズ、その26冊目にあたるのが2014年刊行の本書だ。以前、自分はこのシリーズを「普通の人々」の想像力を記録した文学的標本と評したが、本巻でもその印象を強くした。
本書から一作選ぶなら、中原裕美『これ一作』だろう。
作中に登場するのは、手のひらサイズのカード型機械。電話やインターネット、保険証、クレジットカードまで一台でこなす夢の機械として描かれるのだが、現代の読者なら思わず「それ、スマホでは?」と感じてしまう。
さらにその機械は、健康状態の指標となり、食事や仕事まで助言・管理する存在へと発展する。しかし、人間は機械への依存を深め、ついには機械の判断に従って自殺へ追い込まれてしまう──それは現代から読むと、AIの規制論で挙げられる事例とよく似ており、空恐ろしくなる設定だ。
解説と選考を務める阿刀田高は、本作を「不思議なものを手に入れて展開する」ショートショートの典型例と位置づけつつ、突飛でありながら「ひょっとすると、あり得るかもしれない」と読者に思わせる現実味を評価している。しかし、それが現実に普及し、社会問題として議論される時代が来るとは、阿刀田高の想像力をもってしても予想外だったのではないか。ここでは、ショートショートの想像力を現実が追い越してしまっている。
一方で、本書には執筆当時の「時代性」が色濃く出た作品も目立つ。野田充男『王子様』は、当時流行した「ハンカチ王子」のように “〇〇王子” と呼ばれてモテたい男の願望をコミカルに描き、小泉秀人『鬼帳面』は、名前を書かれた人間が死ぬという、いかにも『DEATH NOTE』を彷彿とさせるアイデアをモチーフにしている。こうした作品群からは、当時の世相や空気感の輪郭がありありと透けて見えて面白い。
個人的に強く惹かれたのは、緒久なつ江の『くねくね、ぐるぐるの夏』と『足を洗う』の2作だ。前者は、荒れた庭の植物たちを擬人化し、江戸庶民のようなべらんめえ口調で賑やかな掛け合いを繰り広げるポップな奇作。後者は、自身の足の臭いへの苦悩と対策をコミカルに積み重ねた末に、「足を洗う」という慣用句の二重の意味へと鮮やかに着地する秀作だ。
しかし、選者である阿刀田高の評価は芳しくない。後者に至っては、まともな寸評すら与えられていないのだ。
べらんめえ口調の掛け合いや言葉遊びといった、時代を問わず楽しめる作品の魅力があまり評価されない一方で、かつて「あり得るかもしれない」と評価された空想は、いまや現実に追い越された。もちろん、阿刀田高が評価したのは当時の「先見性や想像力」そのものなのだろう。だが、その空想を現代から読むと、もはや単なる空想としては読めず、どこか奇妙な後味が残る。ここに、自分の感じる作品の普遍性と、選者の評価基準とのズレを見るのだ。
阿刀田高によるショートショートの分析と考察には、相変わらず唸らされる。しかし同時に、どの作品に価値を見出すかという感覚の違いにおいて、自分とのギャップが以前よりもくっきりと浮き彫りになった。
自分の「面白い」という基準すら、少しわからなくなってきた。だが、その「わからなさ」こそが読書の醍醐味だ。だからこそ、このシリーズを、ひいては人間の想像力が生み出すフィクションの世界を、もっと深く読み進めてみたくなる。
本書から一作選ぶなら、中原裕美『これ一作』だろう。
作中に登場するのは、手のひらサイズのカード型機械。電話やインターネット、保険証、クレジットカードまで一台でこなす夢の機械として描かれるのだが、現代の読者なら思わず「それ、スマホでは?」と感じてしまう。
さらにその機械は、健康状態の指標となり、食事や仕事まで助言・管理する存在へと発展する。しかし、人間は機械への依存を深め、ついには機械の判断に従って自殺へ追い込まれてしまう──それは現代から読むと、AIの規制論で挙げられる事例とよく似ており、空恐ろしくなる設定だ。
解説と選考を務める阿刀田高は、本作を「不思議なものを手に入れて展開する」ショートショートの典型例と位置づけつつ、突飛でありながら「ひょっとすると、あり得るかもしれない」と読者に思わせる現実味を評価している。しかし、それが現実に普及し、社会問題として議論される時代が来るとは、阿刀田高の想像力をもってしても予想外だったのではないか。ここでは、ショートショートの想像力を現実が追い越してしまっている。
一方で、本書には執筆当時の「時代性」が色濃く出た作品も目立つ。野田充男『王子様』は、当時流行した「ハンカチ王子」のように “〇〇王子” と呼ばれてモテたい男の願望をコミカルに描き、小泉秀人『鬼帳面』は、名前を書かれた人間が死ぬという、いかにも『DEATH NOTE』を彷彿とさせるアイデアをモチーフにしている。こうした作品群からは、当時の世相や空気感の輪郭がありありと透けて見えて面白い。
個人的に強く惹かれたのは、緒久なつ江の『くねくね、ぐるぐるの夏』と『足を洗う』の2作だ。前者は、荒れた庭の植物たちを擬人化し、江戸庶民のようなべらんめえ口調で賑やかな掛け合いを繰り広げるポップな奇作。後者は、自身の足の臭いへの苦悩と対策をコミカルに積み重ねた末に、「足を洗う」という慣用句の二重の意味へと鮮やかに着地する秀作だ。
しかし、選者である阿刀田高の評価は芳しくない。後者に至っては、まともな寸評すら与えられていないのだ。
べらんめえ口調の掛け合いや言葉遊びといった、時代を問わず楽しめる作品の魅力があまり評価されない一方で、かつて「あり得るかもしれない」と評価された空想は、いまや現実に追い越された。もちろん、阿刀田高が評価したのは当時の「先見性や想像力」そのものなのだろう。だが、その空想を現代から読むと、もはや単なる空想としては読めず、どこか奇妙な後味が残る。ここに、自分の感じる作品の普遍性と、選者の評価基準とのズレを見るのだ。
阿刀田高によるショートショートの分析と考察には、相変わらず唸らされる。しかし同時に、どの作品に価値を見出すかという感覚の違いにおいて、自分とのギャップが以前よりもくっきりと浮き彫りになった。
自分の「面白い」という基準すら、少しわからなくなってきた。だが、その「わからなさ」こそが読書の醍醐味だ。だからこそ、このシリーズを、ひいては人間の想像力が生み出すフィクションの世界を、もっと深く読み進めてみたくなる。
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月に二十冊読むこと、週に一つは長文書評を投稿することが目標。
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- 出版社:講談社
- ページ数:0
- ISBN:9784062778091
- 発売日:2014年04月15日
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