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ぱせりさん
ぱせり
レビュアー:
表紙の絵のなかの様々な顔。目にあたるものは、大きな空洞に見える。引きずり込まれそうな闇に見える。
子どもと、子どものそばにいる大人(主に母)の目線とが、海の底の海藻のようにゆらゆらと揺れながら交差しているように感じる、14編の物語。


子どもは無邪気なものだ。無邪気、という言葉をこんな形で確認するとは思わなかったけれど。
毒、闇、狂気、死……。それらには、そういう名前があるのだとか、それは避けるものだとか、そんな意識もなく、ほかのものといっしょに全身で浴びて全身で吸収する。それによって自分が変わってしまうとは想像できないし、抵抗しようなんて気持ちもないのだ。
そういう「無邪気」だ。


物語のなかで、教科書の物語を子どもが朗読する。
子どもの歌を子どもが歌う。
子どもに、夜な夜な母親が思いつきのおはなしを語る。
その物語、歌詞、おはなし……内容の不穏さはどうだろう。子どもに読ませ、うたわせ、聞かせる大人の、凝らした目や、澄ました耳がみえてきて、大人の分別が怖くなる。


物語のなかで、黒蜜をかけてあんみつを食べる場面がある。
あとになってみれば、黒蜜のどろっとした黒さが闇夜のようで怖い。粘り気がしつこくまといついてきそうで怖い。


大縄跳びをする場面もあった。
「たった一本の縄の動きで、ゆみこのまわりに透明な壁ができ、ゆみこは自分が透明なカプセルのなかにいるようだと思った」
素敵な表現、と思ったこの場面、これもあとから振り返ると怖い。透明なカプセルの中で無心に跳ねる子どもが美しすぎて怖い。


姿の美しい子ども、声の美しい子どもなどもよく出てくる。真逆の言葉がなければ「成り立たない概念」という言葉も出てきたが、美しさを読者が認識するのは、真逆のありようを体現する観察者によるのだ。
バランスという言葉も出てきた。
子どもと大人とがそろって一つの物語に出てくるのも、そういうバランスなのかもしれない。


底なしの淵を覗いたような気分。一つ読み終えると、これはホラーかもしれない、と思う。怖ければ読むのをやめればいいのに、ついつい読んでしまう。
私、子どものこの感覚知っているような気がする。いつかどこかで体験したことがあるのかもしれない。
だけど今は、物語の中の子どもたちより、傍らにいる大人たちに、私は似ているのかも。


表紙の絵を眺めている。ここに描かれた顔たちを。大きな目は、黒々とした空洞、底知れぬ深淵。だけど、繊細な美しさも感じないだろうか。14編の物語が、そういう感じだった。



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ぱせり
ぱせり さん本が好き!免許皆伝(書評数:1844 件)

いつまでも読み切れない沢山の本が手の届くところにありますように。
ただたのしみのために本を読める日々でありますように。

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