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多和田葉子がドイツから放った〈キューピッド〉のではなく〈弓道〉の〈矢〉は、彼女の直観(哲学的な意味での)を帯びて日本に居る読者の感情を正鵠に射り胸懐の変化を余儀なくさせた。
一読してハッとしてしまった。小説の構造的にも多和田葉子という作家のアビリティーの豊富さにも。とは云うものの、プロットはいささか勘違いしがちなだけで煩瑣ではない。本書は二部だてで一部は作家である「私」が、二部では一部で語られた元尼僧院長の独白のようなものなのだが、一部が作家の語りである上、二部の導入部に登場する一部の作家と彼女が読む本の表現形式が一致してしまうから同一人物語りと混同してしまいがちなのでしょう。

この二部に登場する本というのが元尼僧院長が書いた独白ないし手記なのだが、これを「私」が本屋で手にして読むのであるが、読んでいる最中の「私」の思弁や感情の描写と手記が始まる境界線が皆無だから、というか意図的に消されているから心しておかないと作家自身の人生の回想のように思えてしまう。後にも記すがその文章の美的感覚やハイセンスな言語感覚に、隠す必要もないのだが驚きを隠せない。

そもそも「私」はドイツの修道院に取材と称して赴くのだが、そこで元尼僧院長が駆け落ちした、という話を知ることになる。この元尼僧院長が二部に登場する本の作者なのだが、尼僧が駆け落ちすることに違和感を覚えるには僕だけじゃないだろう。厳格な戒律に禁欲的で清廉、白すぎるほどの純白のイメージを持っていたものだがそれは旧弊なのだろうか、ほんしょで描かれる尼僧は噂好きでギクシャクした人間関係、厭世的のかけらは微塵もなく、女子校の学生といえば正鵠を射る形容だろう。まるで多和田葉子自身の実体験のような、あるいは修道院というマテリアルが蠱惑的に映り扱いたかったかのように、著者の活性が存分に発揮され修道院のディスハーモニーを見事に描いて魅せてくれる。

それらの語られ方も卓越しており、漢字とドイツ語のルビを使った言語遊戯的な仕掛けも彼女ならではじゃないだろうか。「キューピッド」と「弓」も一例になるでしょう。ナボコフバリ、というと大それているかもしれないが、現代日本文学でも一等抜きん出ているのではないかと個人的には思う。多和田葉子はドイツ在住でドイツ語と日本語で書く作家である。それもあっての遊戯であるだろうし、文章が整然とした端正な、趣を異にするが村上春樹のように翻訳調なのがアトラクティヴだった。

もう一つ忘れてはいけないのが主題である。上に記した内容だけなら上質なエンターテイメントのようにも映ってしまうかもしれないが、そこに哲学的な〈選択〉という問題があるのだ。本作の終盤部分に差し掛かると随所にこの〈選択〉が顔を出す。作中「私」が哲学の講義で「個人に本当に選択の自由があるのかという問題です」という事を自問しげいることを明かすが、それを皮切りに、

「何語を母国語にするのか、どんな町に生まれるか、どういう名前になるのか、本人は何ひとつ決められないというだけでもう、わたしの一生はわたし自身のものではなかった。」

「これはわたしが決めたことではないかもしれないけれど、やっぱりわたしがきめたことなのだ。」

といった〈選択〉に関するセンテンスが登場してくる。元尼僧院長の駆け落ちも原因を知るとそれに付随するものだと解ってくる。そして結末を知るとその問題に対する解答のようなものも提示され、その書かれ方に冒頭にあるいうにハッとさせられたのだ。どのような締め括りかは勿論書かないが、実際に矢は放たれなかったけど本質的には放たれた、というところでしょうか。それも〈キューピッド〉の〈矢〉ではなく〈弓道〉の〈矢〉の方だけれども。
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掲載日:
チルネコ さん 本が好き! 1級 (書評数:175 件)

読書と観賞をライフワークとしています。
ジャンルを問わず気になった小説は手に取りますので、
皆様のレビューを参考にさせてください。
映画も好きだったりします^^

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