ゆうちゃんさん
レビュアー:
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小説家で元レーサーの著者が、動物実験の残酷さ、無意味さを説明した本。本書の発行時点(1976年)では、動物実験の廃止に向けて大きな取り組みはなされていない。
「動物実験を考える」の参考文献リストに載っていた本で、これも1990年代の前半に読んだもの。「動物実験を考える」の著者野上ふさ子氏もこの本から大きな影響を受けているように感じた。原書は1976年にイタリアで刊行され、本書・日本語訳はその14年後である。
第一章は「科学か狂気か?」と題され、動物実験の概論が述べられている。実は読んでみて本書の内容の概略はここに述べられていることがわかった。動物実験に費やされる金の問題、動物実験者の人格的残酷性とそれがどう形成されるかの問題はさておき、ここで最も重要なのは、「動物は人間と違った反応を示すので、動物を使って試してみた新しい製品や方法はそれが安全であるかどうか、綿密な臨床試験で全て人間で試さねばならない。これに例外はない」ということだ。最も顕著な例は「動物実験で安全性が確認された」筈のサリドマイド薬害である。一般にどれほど知られているかわからないが、ヤマアラシは青酸の毒にも平気、ヤギはベランドンナを食べるという。別の章の言葉だが、科学者自身の発言なので同趣旨の部分を引用する。
つまり、よく動物実験反対論者が医学研究者などから言われる「人間の命と動物の命、どちらが大切なのか?」という問いは意味がないことになる。もうひとつの問題は、動物を実験室に連れて来て実験しても、野生の状態から変化をしており、その反応を幾ら調べても無益だということだ。第二章は「声なきもの」と題され、動物の感覚を問題にしている。動物実験者は、動物は苦痛を感じないというが、そうではない証拠を挙げている。第三章は、「証拠」と題されていて、種々の学会論文などをそのまま引用しながらの動物実験の実例である。著者はあまりに残酷な描写が続くのでこの章を読み飛ばしても良いと言っているが、その通りの内容だった。第四章は「事実と幻想」と題されていて、医学史の復習である。倫理観も高く動物実験とは無縁だったヒポクラテスに始まり、ローマ帝国時代のガレヌスが動物実験を始め、公衆衛生を軽視して疫病流行の元を作りその後数百年の医学の退行を招いたこと、X線や顕微鏡の発明、田舎で実践されていた薬草治療をもとにしたジギタリスの発見など、近代以降の多くの医学への貢献をしてきた発明、発見は動物実験とは無縁だったことを説明している。第五章は「新しい宗教」と題して、19世紀中頃に動物実験を「系統化」したフランスの学者クロード・ベルナールの生涯を著者の視点から見ている。著者から見れば、ベルナールは今日の動物実験隆盛の基礎を作った大悪人であるが、彼はフランスの上院議員にまで上り詰め、死去に際して国葬された人である。第六章は「生化学のベルナール主義」と題して前半は、動物実験がいかに間違って無益なものか、医師や学者の発言を医学雑誌や医学学会誌なとからの103本の引用記事を並べたものである。この章の後半は、マスコミがこの問題を伝えないこと、大衆の新薬信仰の体質、当局がそれを放置し、医薬品業界がそれを良いことに新薬を出し続け、場合によっては当局者の一部が医薬費業界に抱き込まれて利益相反行為をしていることが述べられている。第七章は「人間性喪失」と題され、前半は、実験のためと称して動物を虐待しても平気な研究者たちの精神、その研究者たちによって同様に残虐性に対して無感覚にされていく学生(即ち将来の医師や研究者)たちの精神を著者なりに分析している。後半は、キリスト教会の中でも、トマス・アクィナスの動物虐待の正当化を今でも引き継ぐローマ・カトリック教会が、動物実験を是認していることに触れている。第八章は「反逆」と題して動物実験廃止運動の歴史、代替法、そして今後、廃止運動をどのように進めていくべきかを論じている。第九章は「因果応報」と題され、動物実験が人体実験への拡大につながったこと、胎児や幼児への実験の言及、そしてサリドマイドを始め、動物実験で「安全」が確認されたにも関わらず、薬害の被害が広まったことを述べている。動物実験者はこのような薬害さえ、動物実験の更なる厳密な実施、拡大の必要性の照明だと述べている。この章で、赤ちゃんや痴呆性老人を使ったという人体実験の実態は、にわかには信じられない。出典も明記されているので、調べることは可能だが、その出典が事実を伝えているのかどうかは自分には判断できない。この章には以下のような言葉もあった。この部分は、動物実験を元に「安全」とされてきた新規化学物質に対する著者独自の視点に思う。
第十章は「結論」であり、動物実験は廃止されるべきものであり、廃止に向けた各国、各種の団体の動向を述べている。
19世紀後半から、残酷で無意味な動物試験が行われてきたことは事実だろう。特に実験者が単なる好奇心としか思えない動機で繰り返される動物実験の下りは心が痛む。刊行から50年以上経っており、こうした動物の受難が少しでも減っていることを願いたい。自分が高校生の頃に風邪で医者にかかったが、当の医者は薬は出すものの、本来は安静にして体力を回復して治すものだと諭す。受験に追われる高校生にはその言葉は響かなかったし、大学生になっても、社会人として働き始めても、そして本書を最初に読んだ後も、仕事に追われる人間としては、ますます、病気は薬で早く治すものだと思ってきた。高校生の時に聞いた医者の言葉は妙に頭に残り、薬は症状を緩和するだけで病気の原因を解決してくれないとは思ったものの、目先の症状の緩和だけにしか関心は剥かない。著者の主張する自然治癒を実践できるようになったのは、仕事を辞め時間が出来た今に至ってである。現代人は病気を自然治癒力で治すにはあまりにも忙しい。著者はこうした公衆の態度も批判しているが、これまでの自分の態度はどうしようもなかったという矛盾した思いが浮かぶ。
本書は1970年代刊行ながら医学に対する先進的と思われる記述があり、例えば耐性菌の存在などがそうだ。
しかし、著者の動物実験をする科学者への不信は相当なもので、本書に先立って読んだ野上ふさ子氏の著作と同様に、著者の医学不信は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の観がある。今、改めて読んでみると、やはり同意できない部分もやはりある。本書の記述でかなり頁を割いている近代動物実験の創始者ベルナールについても、検索をしてみると日本でも「敬愛する科学者」という医学者が幾人かいて、本書とどちらを信じてよいのかわからない。
著者のリューシュは、元レーサーで、その後文筆業に携わり1950年代にはベストセラー小説も生み出している。動物実験の残酷さを知り、以後は反対運動に身を投じた。反対運動にも全面禁止から規制派まで色々あるが、彼は、暴力行為は否定するものの即時全面禁止派である。第九、十章には今後の動物実験について明るい展望も書かれていたが実態はどうなのだろうか?細胞や遺伝子の作用もわかり、著者が否定的な代替法も発展していると思う。もちろん、自分は、自分が飼っていたイヌを始め、哺乳類などを残酷で無意味な実験に使うのは反対であるし、著者が戒めるように人間には傲慢なところがあるという意見もその通りだと思う。一方で、本書に書かれた「癌の撲滅などできない」と言った著者の予言も一部は間違いであったのではないか。医学と倫理を巡る関係は非常に難しい問題だという認識を、本書を再読して得た積りである。
第一章は「科学か狂気か?」と題され、動物実験の概論が述べられている。実は読んでみて本書の内容の概略はここに述べられていることがわかった。動物実験に費やされる金の問題、動物実験者の人格的残酷性とそれがどう形成されるかの問題はさておき、ここで最も重要なのは、「動物は人間と違った反応を示すので、動物を使って試してみた新しい製品や方法はそれが安全であるかどうか、綿密な臨床試験で全て人間で試さねばならない。これに例外はない」ということだ。最も顕著な例は「動物実験で安全性が確認された」筈のサリドマイド薬害である。一般にどれほど知られているかわからないが、ヤマアラシは青酸の毒にも平気、ヤギはベランドンナを食べるという。別の章の言葉だが、科学者自身の発言なので同趣旨の部分を引用する。
レイモンド・グリーン博士が1962年のランセット誌に述べたように「新薬の影響を調べるのに、どれほど綿密な動物試験を行っても、人間に対する影響は殆どわからないという事実に我々は直面している」(316頁)。
つまり、よく動物実験反対論者が医学研究者などから言われる「人間の命と動物の命、どちらが大切なのか?」という問いは意味がないことになる。もうひとつの問題は、動物を実験室に連れて来て実験しても、野生の状態から変化をしており、その反応を幾ら調べても無益だということだ。第二章は「声なきもの」と題され、動物の感覚を問題にしている。動物実験者は、動物は苦痛を感じないというが、そうではない証拠を挙げている。第三章は、「証拠」と題されていて、種々の学会論文などをそのまま引用しながらの動物実験の実例である。著者はあまりに残酷な描写が続くのでこの章を読み飛ばしても良いと言っているが、その通りの内容だった。第四章は「事実と幻想」と題されていて、医学史の復習である。倫理観も高く動物実験とは無縁だったヒポクラテスに始まり、ローマ帝国時代のガレヌスが動物実験を始め、公衆衛生を軽視して疫病流行の元を作りその後数百年の医学の退行を招いたこと、X線や顕微鏡の発明、田舎で実践されていた薬草治療をもとにしたジギタリスの発見など、近代以降の多くの医学への貢献をしてきた発明、発見は動物実験とは無縁だったことを説明している。第五章は「新しい宗教」と題して、19世紀中頃に動物実験を「系統化」したフランスの学者クロード・ベルナールの生涯を著者の視点から見ている。著者から見れば、ベルナールは今日の動物実験隆盛の基礎を作った大悪人であるが、彼はフランスの上院議員にまで上り詰め、死去に際して国葬された人である。第六章は「生化学のベルナール主義」と題して前半は、動物実験がいかに間違って無益なものか、医師や学者の発言を医学雑誌や医学学会誌なとからの103本の引用記事を並べたものである。この章の後半は、マスコミがこの問題を伝えないこと、大衆の新薬信仰の体質、当局がそれを放置し、医薬品業界がそれを良いことに新薬を出し続け、場合によっては当局者の一部が医薬費業界に抱き込まれて利益相反行為をしていることが述べられている。第七章は「人間性喪失」と題され、前半は、実験のためと称して動物を虐待しても平気な研究者たちの精神、その研究者たちによって同様に残虐性に対して無感覚にされていく学生(即ち将来の医師や研究者)たちの精神を著者なりに分析している。後半は、キリスト教会の中でも、トマス・アクィナスの動物虐待の正当化を今でも引き継ぐローマ・カトリック教会が、動物実験を是認していることに触れている。第八章は「反逆」と題して動物実験廃止運動の歴史、代替法、そして今後、廃止運動をどのように進めていくべきかを論じている。第九章は「因果応報」と題され、動物実験が人体実験への拡大につながったこと、胎児や幼児への実験の言及、そしてサリドマイドを始め、動物実験で「安全」が確認されたにも関わらず、薬害の被害が広まったことを述べている。動物実験者はこのような薬害さえ、動物実験の更なる厳密な実施、拡大の必要性の照明だと述べている。この章で、赤ちゃんや痴呆性老人を使ったという人体実験の実態は、にわかには信じられない。出典も明記されているので、調べることは可能だが、その出典が事実を伝えているのかどうかは自分には判断できない。この章には以下のような言葉もあった。この部分は、動物実験を元に「安全」とされてきた新規化学物質に対する著者独自の視点に思う。
付け加えると何千もの新薬が世界の市場に毎年現れている現状では、我々の子孫だけがその遺伝的副作用がどんなものであるか知るということだ(323頁)。
第十章は「結論」であり、動物実験は廃止されるべきものであり、廃止に向けた各国、各種の団体の動向を述べている。
19世紀後半から、残酷で無意味な動物試験が行われてきたことは事実だろう。特に実験者が単なる好奇心としか思えない動機で繰り返される動物実験の下りは心が痛む。刊行から50年以上経っており、こうした動物の受難が少しでも減っていることを願いたい。自分が高校生の頃に風邪で医者にかかったが、当の医者は薬は出すものの、本来は安静にして体力を回復して治すものだと諭す。受験に追われる高校生にはその言葉は響かなかったし、大学生になっても、社会人として働き始めても、そして本書を最初に読んだ後も、仕事に追われる人間としては、ますます、病気は薬で早く治すものだと思ってきた。高校生の時に聞いた医者の言葉は妙に頭に残り、薬は症状を緩和するだけで病気の原因を解決してくれないとは思ったものの、目先の症状の緩和だけにしか関心は剥かない。著者の主張する自然治癒を実践できるようになったのは、仕事を辞め時間が出来た今に至ってである。現代人は病気を自然治癒力で治すにはあまりにも忙しい。著者はこうした公衆の態度も批判しているが、これまでの自分の態度はどうしようもなかったという矛盾した思いが浮かぶ。
本書は1970年代刊行ながら医学に対する先進的と思われる記述があり、例えば耐性菌の存在などがそうだ。
科学があるバクテリアに対する有効な化学的武器と思われるものを開発したとき、そのバクテリアの一部は何とか生き延びる。突然変異を遂げ、抵抗力を獲得する(235頁)。
しかし、著者の動物実験をする科学者への不信は相当なもので、本書に先立って読んだ野上ふさ子氏の著作と同様に、著者の医学不信は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の観がある。今、改めて読んでみると、やはり同意できない部分もやはりある。本書の記述でかなり頁を割いている近代動物実験の創始者ベルナールについても、検索をしてみると日本でも「敬愛する科学者」という医学者が幾人かいて、本書とどちらを信じてよいのかわからない。
著者のリューシュは、元レーサーで、その後文筆業に携わり1950年代にはベストセラー小説も生み出している。動物実験の残酷さを知り、以後は反対運動に身を投じた。反対運動にも全面禁止から規制派まで色々あるが、彼は、暴力行為は否定するものの即時全面禁止派である。第九、十章には今後の動物実験について明るい展望も書かれていたが実態はどうなのだろうか?細胞や遺伝子の作用もわかり、著者が否定的な代替法も発展していると思う。もちろん、自分は、自分が飼っていたイヌを始め、哺乳類などを残酷で無意味な実験に使うのは反対であるし、著者が戒めるように人間には傲慢なところがあるという意見もその通りだと思う。一方で、本書に書かれた「癌の撲滅などできない」と言った著者の予言も一部は間違いであったのではないか。医学と倫理を巡る関係は非常に難しい問題だという認識を、本書を再読して得た積りである。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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