紅い芥子粒さん
レビュアー:
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秀吉の朝鮮出兵。その将の一人だった小西行長の首を切り落とした男がいた。朝鮮半島に残る伝説だが、史実を越えた凄みがある。
ある夏の日、傘をかぶった僧がふたり、朝鮮半島の田舎道を歩いていた。
このふたり、実は若かりし日の加藤清正と小西行長。
後の朝鮮出兵のため、半島の偵察に来たのである。
そのとき、道のまんなかで石を枕に、すやすや眠っている子どもに行き会った。
清正は、その子どもの異相が気になった。
ただものではない、生かしておくと、将来、よくないことが起こりそうな気がする。
刀を抜いて殺そうとすると、行長に止められた。
無益な殺生はするもんじゃないよ、と。
それから三十年後。
清正と行長は、大軍を率いて、朝鮮半島に襲来した。
京城は陥落、平壌も陥落寸前。
朝鮮の王様は、大明帝国の援軍を待ちわびていた。
そこへ、金王瑞という男が現れた。
金王瑞は王様に、「おまかせくだい、きっとなんとかしますから」なんていう。
この金王瑞という男、実は三十年前、道で石を枕に寝ていた子どもだった。
小西行長には、平壌に桂月香という美しい愛人がいた。
ある夜、行長は、桂月香とその兄と三人で、酒盛りをしていた。
桂月香は、行長にしなだれかかり、つぎからつぎへと酒を注ぐ。
その酒には、眠り薬が仕込んであった。
いつのまにか行長は、ぐっすり眠りこむ。
その首を切り落としたのが桂月香の兄、実は金王瑞。
寝首を掻くのは簡単なようだが、伝説だから、そうはいかない。
行長の刀が勝手に空中を飛び回って、金王瑞に切りかかったり、
落とされた行長の首が、胴体にくっつこうとしたり、
首のない行長の胴体の手が、金王瑞に剣をなげつけたり……
大波乱の末に金王瑞は行長を打ち果たしたのだった。
大仕事を終えた金王瑞は、桂月香を抱いて逃げた。
逃げる途中で、彼女が妊娠していることに気がついた。行長の子だ。
いまのうちに殺しておかなければ、禍根を残すことになる。
金王瑞は、迷いなく彼女を斬り殺し、腹から胎児を引きずり出した……
日本史に照らしてみれば、ずいぶんおかしな話である。
小西行長は、1558年生まれ。朝鮮出兵の文禄の役は1592年。このとき行長は34歳である。その30年前はわずか4歳。朝鮮半島を偵察に行っていたなんてありえない。
朝鮮出兵の首謀者の秀吉だって、信長の一家臣にすぎなかったころだ。
そもそも小西行長は、文禄、慶長の役で死んだのではない。
1600年、関ヶ原合戦後に六条河原で、石田三成とともに斬首されたのだ。
それでも、この伝説には史実を越えた凄みがある。
悪逆非道の限りを尽くし、朝鮮半島を蹂躙していった倭軍。
金王瑞が殺したのが、三十年前に自分を殺そうとした清正ではなく、情けをかけてくれた行長であるところに、朝鮮の民たちの、倭軍への憎しみと恨みの深さがうかがえる。
「金将軍」が発表されたのは大正十三年。当時、朝鮮半島は日本に領有されていた。
芥川は、朝鮮の民に心を寄せてこの作品を書いている。
自国に不都合なことは教えようとしない日本の歴史教育に触れたうえで、下のような文章で結んでいる。
このふたり、実は若かりし日の加藤清正と小西行長。
後の朝鮮出兵のため、半島の偵察に来たのである。
そのとき、道のまんなかで石を枕に、すやすや眠っている子どもに行き会った。
清正は、その子どもの異相が気になった。
ただものではない、生かしておくと、将来、よくないことが起こりそうな気がする。
刀を抜いて殺そうとすると、行長に止められた。
無益な殺生はするもんじゃないよ、と。
それから三十年後。
清正と行長は、大軍を率いて、朝鮮半島に襲来した。
京城は陥落、平壌も陥落寸前。
朝鮮の王様は、大明帝国の援軍を待ちわびていた。
そこへ、金王瑞という男が現れた。
金王瑞は王様に、「おまかせくだい、きっとなんとかしますから」なんていう。
この金王瑞という男、実は三十年前、道で石を枕に寝ていた子どもだった。
小西行長には、平壌に桂月香という美しい愛人がいた。
ある夜、行長は、桂月香とその兄と三人で、酒盛りをしていた。
桂月香は、行長にしなだれかかり、つぎからつぎへと酒を注ぐ。
その酒には、眠り薬が仕込んであった。
いつのまにか行長は、ぐっすり眠りこむ。
その首を切り落としたのが桂月香の兄、実は金王瑞。
寝首を掻くのは簡単なようだが、伝説だから、そうはいかない。
行長の刀が勝手に空中を飛び回って、金王瑞に切りかかったり、
落とされた行長の首が、胴体にくっつこうとしたり、
首のない行長の胴体の手が、金王瑞に剣をなげつけたり……
大波乱の末に金王瑞は行長を打ち果たしたのだった。
大仕事を終えた金王瑞は、桂月香を抱いて逃げた。
逃げる途中で、彼女が妊娠していることに気がついた。行長の子だ。
いまのうちに殺しておかなければ、禍根を残すことになる。
金王瑞は、迷いなく彼女を斬り殺し、腹から胎児を引きずり出した……
日本史に照らしてみれば、ずいぶんおかしな話である。
小西行長は、1558年生まれ。朝鮮出兵の文禄の役は1592年。このとき行長は34歳である。その30年前はわずか4歳。朝鮮半島を偵察に行っていたなんてありえない。
朝鮮出兵の首謀者の秀吉だって、信長の一家臣にすぎなかったころだ。
そもそも小西行長は、文禄、慶長の役で死んだのではない。
1600年、関ヶ原合戦後に六条河原で、石田三成とともに斬首されたのだ。
それでも、この伝説には史実を越えた凄みがある。
悪逆非道の限りを尽くし、朝鮮半島を蹂躙していった倭軍。
金王瑞が殺したのが、三十年前に自分を殺そうとした清正ではなく、情けをかけてくれた行長であるところに、朝鮮の民たちの、倭軍への憎しみと恨みの深さがうかがえる。
「金将軍」が発表されたのは大正十三年。当時、朝鮮半島は日本に領有されていた。
芥川は、朝鮮の民に心を寄せてこの作品を書いている。
自国に不都合なことは教えようとしない日本の歴史教育に触れたうえで、下のような文章で結んでいる。
いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。何も金将軍の伝説ばかり一粲に値する次第ではない。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- ISBN:B009IWT016
- 発売日:2012年09月28日
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