かもめ通信さん
レビュアー:
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とてもいい話なのだ。でもやっぱり、自分に引き寄せて考えるとき、ジェイクと家族の選択は、本当にそれでよかったのかと考え込まずにはいられなかった。 #やまねこ20周年
オレンジジュースを飲もうと思って冷蔵庫をあけたら
冷凍室にパジャマがつめこまれていたとか
遊びに来た友だちの前に
髪はくしゃくしゃ、靴はかたっぽしかはいていないような
おかしな格好で現れるとか
外出先で奇妙な行動をとって
周囲の注目を集めてしまうとか
それがアルツハイマーという病気のせいだとわかっていても
一緒にいるととてもしんどい。
ましてやその相手が大好きなおじいちゃんであったなら。
ジェイクにとっておじいちゃんは父親代わりというだけでなく自慢の種だった。
手先が器用でなんでもできるおじいちゃんは
とろけるようなチョコレートカップケーキを作って
ジェイクのクラスメートたちを虜にしたぐらい。
でもそれも今は過去形。
六年前、ジェイクが八歳の時に
アルツハイマーを発症したおじいちゃんは
次第に奇妙な行動をとるようになり
今ではジェイクのことを子どもの頃仲の良かった友人
“クロード・ハーパー”だと思っている。
ジェイクはずっと頑張ってきた。
通いの看護師さんの退勤と
母さんが帰ってくるまでの間の時間を埋めるため
学校から一目散に帰ってくると決めたのは
彼自身だったのだから。
けれどもそうした状況が、
何日も、何ヶ月も、何年も続き
おじいちゃんの症状が日に日に重くなってきたとき
14歳の少年にすべてを受け止めろというのは無理な話だった。
つらい話ではあるが、
ユーモラスな場面もあるし、
やさしく温かい話でもあり、
思わずぐっとくる場面もある。
いろんなことがわからなくなってしまったおじいちゃんではあるけれど
住み慣れた家に、自分を大事に思ってくれる愛する家族と住み続け
週末は離れて暮らす娘や孫も顔を出してくれる。
「お幸せですね」と誰もが言うに違いない。
とてもいい話なのだ。
介護の問題は時代や地域性や
その国や自治体の施策にも左右されるものであるとも思う。
けれども……。
十代前半という多感な少年時代に
愛するおじいちゃんのためとはいえ
いろいろなことを諦めてしまったジェイクのことを思う時、
本当にそれでよかったのか
もう少し他の方法はなかったのかと
考え込まずにはいられない。
もしもジェイクが
毎日思う存分くたくたになるまで遊んだり
スポーツにいそしんだりしたとしても
時間をつくっておじいちゃんに会いに行き
こんなことあんなことがあったよと
笑って語りかける心のゆとりが持てたなら、
もしも母さんが
悲壮感漂わせながらかけずり回ることなく
時折おじいちゃんを見舞って
ぎゅっと抱きしめてあげたなら
たとえ離れて暮らすことになったとしても
苛つく孫に当たられたり
娘の泣き顔を見たりせずにいられるのなら
そういう幸せもあるのではないかと
思わずにはいられなかった。
冷凍室にパジャマがつめこまれていたとか
遊びに来た友だちの前に
髪はくしゃくしゃ、靴はかたっぽしかはいていないような
おかしな格好で現れるとか
外出先で奇妙な行動をとって
周囲の注目を集めてしまうとか
それがアルツハイマーという病気のせいだとわかっていても
一緒にいるととてもしんどい。
ましてやその相手が大好きなおじいちゃんであったなら。
ジェイクにとっておじいちゃんは父親代わりというだけでなく自慢の種だった。
手先が器用でなんでもできるおじいちゃんは
とろけるようなチョコレートカップケーキを作って
ジェイクのクラスメートたちを虜にしたぐらい。
でもそれも今は過去形。
六年前、ジェイクが八歳の時に
アルツハイマーを発症したおじいちゃんは
次第に奇妙な行動をとるようになり
今ではジェイクのことを子どもの頃仲の良かった友人
“クロード・ハーパー”だと思っている。
ジェイクはずっと頑張ってきた。
通いの看護師さんの退勤と
母さんが帰ってくるまでの間の時間を埋めるため
学校から一目散に帰ってくると決めたのは
彼自身だったのだから。
けれどもそうした状況が、
何日も、何ヶ月も、何年も続き
おじいちゃんの症状が日に日に重くなってきたとき
14歳の少年にすべてを受け止めろというのは無理な話だった。
つらい話ではあるが、
ユーモラスな場面もあるし、
やさしく温かい話でもあり、
思わずぐっとくる場面もある。
いろんなことがわからなくなってしまったおじいちゃんではあるけれど
住み慣れた家に、自分を大事に思ってくれる愛する家族と住み続け
週末は離れて暮らす娘や孫も顔を出してくれる。
「お幸せですね」と誰もが言うに違いない。
とてもいい話なのだ。
介護の問題は時代や地域性や
その国や自治体の施策にも左右されるものであるとも思う。
けれども……。
十代前半という多感な少年時代に
愛するおじいちゃんのためとはいえ
いろいろなことを諦めてしまったジェイクのことを思う時、
本当にそれでよかったのか
もう少し他の方法はなかったのかと
考え込まずにはいられない。
もしもジェイクが
毎日思う存分くたくたになるまで遊んだり
スポーツにいそしんだりしたとしても
時間をつくっておじいちゃんに会いに行き
こんなことあんなことがあったよと
笑って語りかける心のゆとりが持てたなら、
もしも母さんが
悲壮感漂わせながらかけずり回ることなく
時折おじいちゃんを見舞って
ぎゅっと抱きしめてあげたなら
たとえ離れて暮らすことになったとしても
苛つく孫に当たられたり
娘の泣き顔を見たりせずにいられるのなら
そういう幸せもあるのではないかと
思わずにはいられなかった。
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本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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- 出版社:求龍堂
- ページ数:182
- ISBN:9784763005298
- 発売日:2005年10月01日
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