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読み始めてすぐに頭の中で警報が鳴り響く。尋常な話ではないと。誘拐されて人工の庭に軟禁されおぞましい運命が待ち構える女性たちの物語。
物語は取調室から始まる。どこかから救出された女性から話を聞こうとするFBI捜査官。取り乱したりすることもなく、しかし必ずしも協力的とも言えない、頭は切れそうなマヤ。
マヤは数年間軟禁状態にあったが、その場所で付けられた名前であって本名ではない。身分証明書が見つかったがそれも偽造のものだった。
捜査官の質問に対してダイレクトに答えるというよりは、謎かけに近いような返答をしながら、モノローグが始まり、事件の周辺情報が少しずつ明らかとなっていく。
事業にも成功し裕福であるが他人への共感が全くない典型的なソシオパスである「庭師」と、女性を蔑視し、性の対象としか見ず、歪んだ自尊心を持つある意味社会には普通にいる「クソ野郎」である庭師の息子エイヴリー。
「庭師」はガーデンにいる女性たちを彼女らが生きている間はとても大事にします。もちろん反抗したりしないことが前提ですが。「庭師」は彼女たちを心から愛しています。しかし、その愛は当然普通の愛ではありません。それどころか性倒錯者やストーカーなどの歪んだ愛のほうがまだ理解できると思えるほどおぞましい。生理的というよりはむしろ「本能的な嫌悪感」を感じます。
ただ「庭師」の彼女たちの扱いは丁寧なのである意味物理的(肉体的)には快適な生活を送ることができます。しかし、エイヴリーはやりたい放題。レイプや拷問のようなことまで。彼女たちは快適な生活を乱されます。読んでいてエイヴリーに対して激しい怒りを感じますが、それは毎日のように報道されるDVとか、ストーカーとか、虐待とかと同じ種類の怒りであって、「本能的な嫌悪感」ではありません。
この対比が、ソシオパスである「庭師」の普通の人間の延長線上にあるクズどもの醜悪さとは全く次元の違う、言わば脳の構造が全く違う人間の異質感というものが浮かび上がってきます。
さらに彼女たちの運命は決まっており、ある時点で必ず死ぬことになります。
彼女たちはその運命を知っていながら日々生活をしていきます。そのストレスは想像したくありません。例えば武装組織に拉致監禁された場合に、結果的には殺害されたケースにおいても、人質はずっと希望を持っていたはずです。それはアウシュビッツですらそうかもしれません。希望を持つのは明確に殺されることが知らされていないから。
しかし、彼女たちは例外なく予定通り仲間が死んでいくさまを目にしていきます。「庭師」はソシオパスですから「庭師」なりの愛や共感を見せたりもしますが、それは普通の人間と同じものではありません。その死ですら、彼女たちも望んでいるものだと、「庭師」は心から思っています。
派手な連続殺人が起こり、残酷な描写が続くシリアルキラー物と決定的に違うのは、被害者の側の心理や人生に重きを置いているところだろうと思います。通常このような物語はシリアルキラーの行動・心理・犯行の態様とそれに対処する捜査官を中心に描かれることが多く、被害者側がフィーチャーされることが少ないため、被害者それぞれに感情移入することがあまりありません。
それゆえ、とても面白いにも関わらず、この物語を読み進めるのはとてもしんどかったです。ミステリーの要素も当然盛り込まれており、マヤの取調室での言動の理由とかも最後に明らかにされ、この物語の重厚さに一役買いますが、どうしてもガーデンの余韻が強く残ります。
訳者あとがきで「残虐な場面の直接な描写がないので、そういうのが苦手という方にも安心して読んでいただけると思います。」とありますが、私はあまりそうは思えませんでした。
例えば、結局、「庭師」がどのように殺すのかについては明らかにはなりません。また反抗して消えていった女性たちがどのように殺されたのかも明らかになりません。ここにも相手の恐怖や苦痛に対して全く共感しないソシオパスの不気味さが浮き彫りにされているように思います。
マヤは数年間軟禁状態にあったが、その場所で付けられた名前であって本名ではない。身分証明書が見つかったがそれも偽造のものだった。
捜査官の質問に対してダイレクトに答えるというよりは、謎かけに近いような返答をしながら、モノローグが始まり、事件の周辺情報が少しずつ明らかとなっていく。
事業にも成功し裕福であるが他人への共感が全くない典型的なソシオパスである「庭師」と、女性を蔑視し、性の対象としか見ず、歪んだ自尊心を持つある意味社会には普通にいる「クソ野郎」である庭師の息子エイヴリー。
「庭師」はガーデンにいる女性たちを彼女らが生きている間はとても大事にします。もちろん反抗したりしないことが前提ですが。「庭師」は彼女たちを心から愛しています。しかし、その愛は当然普通の愛ではありません。それどころか性倒錯者やストーカーなどの歪んだ愛のほうがまだ理解できると思えるほどおぞましい。生理的というよりはむしろ「本能的な嫌悪感」を感じます。
ただ「庭師」の彼女たちの扱いは丁寧なのである意味物理的(肉体的)には快適な生活を送ることができます。しかし、エイヴリーはやりたい放題。レイプや拷問のようなことまで。彼女たちは快適な生活を乱されます。読んでいてエイヴリーに対して激しい怒りを感じますが、それは毎日のように報道されるDVとか、ストーカーとか、虐待とかと同じ種類の怒りであって、「本能的な嫌悪感」ではありません。
この対比が、ソシオパスである「庭師」の普通の人間の延長線上にあるクズどもの醜悪さとは全く次元の違う、言わば脳の構造が全く違う人間の異質感というものが浮かび上がってきます。
さらに彼女たちの運命は決まっており、ある時点で必ず死ぬことになります。
彼女たちはその運命を知っていながら日々生活をしていきます。そのストレスは想像したくありません。例えば武装組織に拉致監禁された場合に、結果的には殺害されたケースにおいても、人質はずっと希望を持っていたはずです。それはアウシュビッツですらそうかもしれません。希望を持つのは明確に殺されることが知らされていないから。
しかし、彼女たちは例外なく予定通り仲間が死んでいくさまを目にしていきます。「庭師」はソシオパスですから「庭師」なりの愛や共感を見せたりもしますが、それは普通の人間と同じものではありません。その死ですら、彼女たちも望んでいるものだと、「庭師」は心から思っています。
派手な連続殺人が起こり、残酷な描写が続くシリアルキラー物と決定的に違うのは、被害者の側の心理や人生に重きを置いているところだろうと思います。通常このような物語はシリアルキラーの行動・心理・犯行の態様とそれに対処する捜査官を中心に描かれることが多く、被害者側がフィーチャーされることが少ないため、被害者それぞれに感情移入することがあまりありません。
それゆえ、とても面白いにも関わらず、この物語を読み進めるのはとてもしんどかったです。ミステリーの要素も当然盛り込まれており、マヤの取調室での言動の理由とかも最後に明らかにされ、この物語の重厚さに一役買いますが、どうしてもガーデンの余韻が強く残ります。
訳者あとがきで「残虐な場面の直接な描写がないので、そういうのが苦手という方にも安心して読んでいただけると思います。」とありますが、私はあまりそうは思えませんでした。
例えば、結局、「庭師」がどのように殺すのかについては明らかにはなりません。また反抗して消えていった女性たちがどのように殺されたのかも明らかになりません。ここにも相手の恐怖や苦痛に対して全く共感しないソシオパスの不気味さが浮き彫りにされているように思います。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:東京創元社
- ページ数:416
- ISBN:9784488260040
- 発売日:2017年12月20日
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