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「なぜ私は書かねばならぬのか。私は知らない。色々の理由が、みんな真実のようでもあり、みんな嘘のようでもある。」と安吾は言う。2月17日は安吾忌だから安吾の心の内を覗いてみた。
坂口安吾に言わせると「文学は談じてはならぬ」ものらしい。
酔っ払って談じるのはもちろん、酔わないときでもよろしくない。
なぜというなら「文学は、書くもので、そして読むものだ」から。
「全てを書け」そして「読む」のだというわけだ。

そう考える彼は座談会が好きではない。
「文士の座談会は本来随筆的であるべきで、文学を語るなどとは大いに良くない。読む方の人が、そんなところに文学がころがっていると思ったら大変、文学は常に考えられることにより、そして書かれることによって、生れてくるものなのだから。」などという。
そのくせ先に誰それが「座談会はお断り」と宣言してしまったから、その追随だと思われるのも癪だと言って、座談会に出かけて行く。
ところがなんだかんだと時間になってもメンツがそろわず、待っている間に大いに酔っ払ってしまったりするのだった。


「文士が深刻そうな顔をしなければならないのは書斎の中だけで、仕事場をはなれたときは、あたりまえの人間であるのが当りまえ。」
「第一、深刻などゝいうのは、本人の気の持ちようにすぎないので、文学は文学それ自体である以外に、何ものでもない。」
そう言い切る安吾は、なかなかの豪傑ぶりを発揮して、一家で居候をしている牧野信一のところに、そのまた居候として転がり込んで、“居候のところの居候は実に居心地が良い。相手も居候の気持ちがよくわかってくれるから”などとうそぶく。
どうにも“あたりまえの人間”であるようには思われない。

その一方で「文学などゝいうものは大いに俗悪な仕事である。人間自体が俗悪だからで、その人間を専一に扱い狙うのだから、俗悪にきまっている。」などともっともらしいことも言う。

「自分の死後、何十年たっても読み継がれる作品、なんてちょっと気持ちが悪い」と言う安吾は、「生きているから、書くだけで、私は、とにかく、生きており、生きつゞけるつもりでいるのだ。私は私の書きすてた小説、つまり、過去の小説は、もう、どうでも、よかった。書いてしまえば、もう、用はない。私はそれも突き放す。勝手に世の中へでゝ、勝手にモミクチャになるがいゝや。俺はもう知らないのだから」と言い捨てる。

そんな安吾のことだから、没後60年以上を経た今になって「安吾ったらこんなことを言ってたよ。」と話題にされていると知ったなら、いったい何と言うだろう。
きっと苦虫をかみつぶしたような顔をしてガバッと酒をあおるに違いない。
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かもめ通信 さん 本が好き! 免許皆伝 (書評数:1038 件)

本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。

読んで楽しい: 12票
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この書評へのコメント

  1. かもめ通信 2016-02-17 06:43

    私の安吾デビューは本が好き!に出会ってからとかなり遅かったのですが、レビューは余り書いていないものの、実は結構はまっていますw
    ちなみにこれまでのレビューはこんなところ…だったかな?
    「教祖の文学・不良少年とキリスト」http://www.honzuki.jp/book/151650/review/88058/
    「不連続殺人事件」http://www.honzuki.jp/book/42466/review/118562/
    「外套と青空」http://www.honzuki.jp/book/221609/review/128541/
    「ドストエフスキーとバルザック」http://www.honzuki.jp/book/210308/review/108843/

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