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軍によって奪われた娘を探し求める父の苦悩
いよいよ今年の夏に開催されるはず(その予定)のリオ五輪や深刻な状況になりつあるジカウイルスなど、最近ブラジルはよくニュースに取り上げられています。
日本にとっては、多くの人々が移民として渡り、その子孫が大勢暮らしている国ですから、縁が深いと言ってよいでしょう。
この作品の舞台は、そんなブラジルがかつて経験した暗き時代、1960年代半ばから1980年代の軍事政権時代となっており、形式的にはフィクションではあるものの、その実は著者ベルナルド・クシンスキーの家族のことを描いているのです。

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始まりは、主人公Kの娘が消えたことだった。
サンパウロ大学の化学学部助教授である娘には突然いなくなる理由などはない。
自発的な失踪というには不自然すぎる状況に、Kはわかった。
反軍政の声を上げ、軍によって消された人々と同じ運命を、娘が辿ったのだと。
Kは良い親ではなかった。
ナチスの手を逃れてブラジルに来たユダヤ系ポーランド人の作家であり、失われつつあるイディッシュ語という東欧ユダヤ人の研究者であるKは、父として娘と向き合ってこなかったのだ。
反抗した息子たちはKの元を去り、残されたのは消えた娘しかいないKは、贖罪の意味も込めて娘の行方を探す。
娘のことを出会う人達に尋ねた。
長年の友人であるが、実は軍の情報屋、つまり人々を監視していたスパイも頼った。
そんな探求の旅の中で、Kは娘が結婚していたという事実を知る。そしてその相手が反政府組織の幹部であり、娘の同士であることも。
話は、様々な人物の視点に切り替わり、反乱分子を始末する軍人、その周囲の人達、軍の圧力に負けて娘を解雇するサンパウロ大学の教授たちが登場する。
そしてKは諦めずに娘を探す。カトリックの大司教にも協力を働きかけた。
その動きがキッシンジャーまで巻き込み軍に圧力をかけるが、何もかもが手遅れだった。
話の断片が集まっていくと、娘がどのような運命を辿ったのか読者に教えてくれる。
だが、肝心のKに対して、真実は次々と押し寄せる嘘によって覆い隠されてしまっている。
Kの進む道は茨という表現さえ生ぬるいほどに、厳しい。希望などどこにあるのかわからない状態で、娘がどうなったのか知りたい、という執念だけが彼を突き動かしている。
Kは苦い真実を、明らかにできるのか。

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主人公Kは最初に触れたように、実在の人物をモデルとしています。著者の父で『屋根の上のバイオリン弾き』を書いたショーレム・アレイヘムの世界的な研究者であったクシンスキーこそKです。そして消えた娘はその娘で著者の妹、事件が起きた当時ALM(国家解放運動)に属していたアナ・ホーザ・クシンスキーということになります。
アナは、軍事政権時代の1974年に夫のウイルソンとともに姿を消しました。
軍は関与を否定、しかし時が経ち軍政から民政へと権力が移されて、しばらく経てから真実を知るものたちの重い口が開き、彼女は夫とともに拷問され殺されたということがわかったのです。

実際に起きた出来事がベースとなっている分、非常に救いがなく重苦しい内容です。
この作品の特徴といえるのは、作中で多くの人々の死が明らかになるのだけれども、凄惨な拷問の様子が描写されることはないところでしょうか。死体処理など血なまぐさい部分は確かにあります。しかしすべてコトが終わった後のことです。Kの娘の死に様も、想像していたような拷問、例えば焼きごてを押されるとか、串刺しにされるとか、そういった苦しみの中で死ぬというのではありませんでした。Kの娘は著者の妹ですから、それを小説の中とはいえ、書くというのは辛いものです。創造物の中とはいえ、惨たらしく拷問される場面など書きたくない、という心理が働いたのではないか、と私には思えました。

また、この作品で最も印象的なのは、KはK自身と言っても過言ではないイディッシュ語で、事件を小説にしようとするのだけれども、それを挫折する場面です。それはイディッシュ語で芸術的な文学作品を書こうとしたから、そもそも娘達を失った遠因は家族を顧みさせなかったイディッシュ語にこそあるのだ、と気がつき、イディッシュ語を捨てる瞬間でした。
Kはそれまでイディッシュ語に注いできた情熱は、並大抵のものではありません。
しかし、今生きている人間を捨ててまで追い求めるべきものなのか。
……人が生きがいを求めることは悪いことなのでしょうか。
もちろん、家族を顧みさせないというのは度が過ぎているかもしれません。
しかし、何かを追い求めるためには、他のものが目に入らないほど熱中するというのはよくあることです。そんな生きがいを軍はKに捨てさせました。
Kの今までの人生を捨ててまで、娘を追い求めざるをえない状況に追い込んだのです。
捨てたものの重みが、Kの心の傷の深さを教えてくれます。

また、普通の人々に対してもいろいろと思うところが出てきます。
軍に抑圧されている状況で、思ったことを言うことが出来ない。
もし言ったら、今度は自分の番になる、とKの言葉に顔を背けてしまうのです。
それどころか、娘さんはコミュニストだったのでしょう、という言葉を返す。つまりコミュニストはテロリストだからと、軍のやっていることは正当性があると認めてしまう。
歪んだ状況にいると、そう生きていかなければいけないとはいえ、たとえのなかでどう思っていようと、哀れな父の訴えに、賛同することが出来なくなってしまう。
その中にはホロコーストを知っているKと同じユダヤ人たちもいるのに。
なんと悲しいことでしょう。

そんなブラジルの軍政ですが、成立の過程をみると、その背景に見え隠れするのはアメリカの思惑でした。
現在起きている中東やアフリカの混乱も、そもそもがアメリカを始めとした列強の身勝手な思惑から始まったことを考えれば、悲劇的な歴史をつくりだすのはいつも大国であるといえるかもしれません。
そして、この作品の出来事は過去であるけれども、二度と起きないことではなく今世界の何処かでは起きているかもしれないことです。
そのことを考えると、なんとも言えない気持ちになります。
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新月雀 さん 本が好き! 1級 (書評数:90 件)

時代小説、SF小説、ファンタジー小説、ホラー小説、推理小説が主です。
でもジャンルにこだわってそれ以外読まないわけではありません。

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