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hackerさん
hacker
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作者自身がモデルと思われる、律子という女性の小学生から大学を卒業するまでの成長、恋愛、時代を描いた、間違いなく小池真理子の代表作の一つです。
先日読んだ、東雅夫が編纂した小池真理子のアンソロジー『ふしぎな話』に、連作短編集『律子慕情』から3作収録されており、とても感銘を受けたので、全6作の本書を読んでみました。1998年刊の本書は、作者自身がモデルと思われる、一人称のヒロインである律子の小学生から大学を卒業して「大人」になるまでを描いたものです。個別の作品におけるヒロインの状況は以下のようになります。

・『恋慕』    小学生
・『猫橋』    中学3年
・『花車』    高校生
・『天使』    大学浪人
・『流星』    大学生
・『慕情』    大学卒業直前

ですから、本書は連作短編集というより、長編小説と呼ぶべきかもしれません。内容は、死者の心と交流できる能力(作者自身も「見える」経験を時折することを語っています)を持つヒロインの成長と恋愛を中心に描いています。殊に『恋慕』と『慕情』は、律子の叔父への慕情を描いて、本書の中核を成すものです。大変な美男子でありながら、定職にもつかず、ヒロインの家に同居していた叔父は、29歳の時に旅先の旅館で自殺するのですが、実は律子の母親を愛しており、それもあって、律子のことも可愛がっていて、彼女が最初に恋愛とも言えない愛という感情を抱いた相手なのです。最後の作品『慕情』では、急性肺炎で入院していた母親の付き添いで寝泊まりしていた律子の前に、叔父が現れるのですが、その時の描写が、何とも切ないのです。

「叔父から伝わって来るのは、狂おしいほどの愛情だった。狂おしいのだが、どこかに透明感があり、烈しいものの、静まり返っている。それは、愛する者に対して、これ以上、素直になれないと思えるほど素直になった時の気持ちにも似ていた。
叔父はただ、母を愛していた。まっすぐに、偽りなく、愛していた」

振り返ってみると、私は小池真理子の短編をずいぶん読んでいるのですが、彼女の作品を読むと、時として思う、あるいは思い出すのは、叶わない想いに胸を焦がした恋愛の記憶であり、おそらく多分に美化された思い出です。いったい、人は短い一生のうち、何人を「まっすぐに、偽りなく」愛することができるのでしょうか、そんなことも考えます。本書は、死者との交流が中心になっているだけに、よけいにそう感じるのでしょう。

本書のもう一つの特徴は、さり気なく、しかし濃厚に、律子が生きてきた時代の雰囲気を醸し出していることです。ただし、その時代のトピックなり重大事件を直接取り上げたりはせず、例えば、希望に満ちたアマチュアリズム精神(いったい、どこへ行ってしまったのでしょう)に支えられた東京オリンピックの扱いもそうですが、単に言及するだけにとどめる場合が多いものの、登場人物たちと相まって、自然と律子が生きてきた時代を意識するようになるのです。ただし、私は小池真理子と同世代ですから、それがよく分かるのかもしれません。この辺りのことを、本書解説で稲葉真弓(1950-2014)は次のように述べています。

「愛という得体の知れぬものを、プリズムの角度を変えるように覗き込もうとした本作品には、固有の時代が重々しい通奏低音として流れ続けているが、もしできうることなら昭和五十年以降の『続・律子』を、小池さんに書き続けてもらいたい。なぜなら、私たちの時代は書かなければ、留めなければ消えていくはかないものだからだ」

この解説が書かれたのは、2000年の文庫化に際してのものですが、実は、小池真理子の最新作『神よ憐れみたまえ』(2021年)の登場人物について、その執筆中は意識していなかったのですが、『ふしぎな話』の著書あとがきの中で「遥か昔、『律子慕情』と題した連作短編の主人公として創造した人物が、長い歳月を経て新たな生命を吹き込まれ、別の物語の中に姿を現した」と述べており、そういう意味では『続・律子』を書いたことになるのかもしれません。いずれ『神よ憐れみたまえ』も読むつもりです。

しかし『慕情』では、叔父との本当の永遠の別れが語られており、一つの作品としては、ここで区切りがついています。

「―寂しいね。でも、もう会えないよ。りっちゃん。多分だめなんだ。
『どうしてよ、わけを教えて』
―りっちゃんはね、もう大人なんだ。りっちゃんの人生に、もう僕は入れない。
『私はまだ、大人になりきれないのよ。私が大人だ、なんて、いったい誰が決めたの。そんなの嘘よ』
ははっと叔父は笑い声をあげた。懐かしい、昔のままの、少しかん高い、楽しげな笑い声だった。
―大人になったってことを決めたのは、りっちゃん、きみ自身なんだよ」

これが彼らの最後の「会話」です。しかし「大人」ってどういうことなんでしょうか。私には、いまだに分かりません。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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