書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
  • facebookログイン
  • twitterログイン
無料会員登録

143 PV
レビュアー:
ヴェテランの文学者である村田喜代子氏が、小学生の作文からルナールの『博物誌』に至るまで新旧や硬軟を問わず名文と判断したものを読解して行く一冊。その読解は実に丁寧で鮮やかで、思考のコリがほぐれる作品だ。
どうしてこんなことを書くのだろう、と思う箇所にぶつかってしまった。それは、「文章レッスン」の場であるはずの本書の中に一見すると単なる身辺雑記の類、例えばとある場所でこんなものを食べたとかそういう、「文章レッスン」とは直接的には関係のなさそうなことが現れて来るからである。文章読本の類はそれなりに読んだことがあるが、本書のように私生活が「文章レッスン」の中で開陳される本は読んだことがない。これは「無駄」なのではないか、もっと「文章レッスン」に事務的に有用に役立つマニュアルとして整理してしまえば良いのではないか……そう思い、しかし読み進めて行くうちに「いやこういう『無駄』と映る箇所をどう読むかを村田喜代子氏は試しているのではないか?」と思ってしまったのだった。単なる「無駄」として切り捨てるか、それともここに本書の美点のひとつを見出すのか。

タイトルが示すように本書は「文章レッスン」の書物である。つまりどう上手い文章を書くかを教える書物ということになる。いつもながら不勉強にして村田喜代子氏の纏まった著作を読むのはこれが初めてのことだったのだけれど、読んでいて実に「柔らかい」本だなという印象を抱いた。私のような村田喜代子氏を知らない人間に対しても丁寧にかつ平易に、村田氏は語り掛けて来るのである。文字通り「縦横無尽」に様々な著作、例えばルナールの『博物誌』や別役実氏や赤瀬川原平、あるいは小学生が書いた作文コンクールの文章など、素人やプロを問わずこれこそ伝授し甲斐のある名文と睨んだ文章を村田氏は読み解く。その作業を私たちもなぞるわけだ。時には実際に村田氏の講義を聞いた学生たちの文章も引用されることになる。

冒頭で語ったこと、つまり余分じゃないかなと思われるような「私生活」を敢えて載せた理由はそんな村田氏の読解を追う私たちにも徐々に分かって来る。村田氏にとって名文とは、必ずしも文法的に正確であるとかそういった次元で成り立つものではない。いやもちろん文法がメチャクチャな文章は論外だろうが、ではそういう文法が整った堅苦しい文章が名文かというとそうでもない。先に書いたように、人生経験もまだ浅く表現の語彙も乏しいと思われる小学生の文章を村田氏は名文として取り上げる。だがこれが決して奇を衒ったものではないことは読めば分かるだろう。村田氏にとって文章とは概念として、つまり頭の中でこねくり回して作り上げるものではなく生活の中から自然と立ち昇るものなのだ。あるいは考え方や感じ方がそのまま反映される、と言っても良いのかもしれない。

そう考えれば「私生活」が挿入されることにも納得が行く。どのように生きるか。大袈裟な表現になってしまったが、生き方と文章を村田氏は切り離さない。いやもちろん無頼派のように大酒飲みで破天荒な生き方をすれば名文が生まれるとかそんな単純なことを村田氏は書かない。地に足の着いた、地面の感触を一歩一歩確かめるようにして読解は慎重に進んで行く。だが難解ではなく、極めて平たい表現でその考察/読解は進むのだ。これは甚だ失礼になるが、読んで「すぐに」役に立つマニュアルとして本書を読めば期待外れに終わるだろう。効率性というのであればもっと他に秀でている本はあるはずだ。だが、読んでいて「考え方や感じ方」について反省させられる本であることは間違いがない。

それにしても、先にも書いたが不勉強なもので村田氏の本はこれまで一冊も手に取ったことがなかったのだが、なんと平たく温かい文章を書かれる方なのだろうか。文学者として既に名が高いことくらいは知っていたが、何故か読まないで通り過ぎてしまっていたのだ。これは川端康成文学賞を受賞した作品を読んでみたい……そう思ってしまった。平たくて温かいけれど、ダメ出しをする時はきっちりする。この文章のここが拙い、ここはこう直せば良い……それに賛同するかどうかは読者の自由だろう。私自身どうかなと思いながら読んだ箇所もあるのだけれど、まだ今の自分にはそういう文章の旨味や渋味は分からないのかもしれないな、と反省させられてしまった。

「縦横無尽」というタイトルに偽りはない。あっさり読めてしまう本だし、不幸な読者にとっては「なにも後に残らなかった」で終わってしまうのかもしれない。だが、「平たくて温かい」見掛けに騙されてはならない。「神は細部に宿る」という古の格言があるように、先に述べたような文章のマニュアルとしては「無駄」ではないかと思われる箇所も丁寧に読まなければならない。そうすることで一見すると無関係に思われる料理の美味しさや風景描写のあり方について触れた箇所が、なるほどこういう書き手だからこそこういった文章を書くのか……と腑に落ちるだろう。著者は生き方と文章の書き方を切り離さない。丁寧に日常を生きていない人間に良い文章は書けない、そう語っているかのようだ。

講義の記録を加筆したものだからなのだろうか、改めてその「平たくて温かい」文章から立ち昇る独自の味わいが余韻として後に残るのを感じる。こちらの「構え」を柔軟にほぐすような、熟達した人物に拠る太極拳やマッサージを体験したかのような感覚と表現すれば良いだろうか。技巧的に凝ったところが目立たないが、しかしこの村田氏の文章も紛れもなく名文なのではないかと思わされる。と同時に、自分が文章というものを如何に粗雑に読んでいるかということも問い直させられる形になってしまった。一文一文を丁寧に読み解き語る村田氏の注意深さを見習わなくてはならないな、と……またひとつ神秘的な体験を経験してしまった。これが過褒ではないことを是非、本書で確かめてみて欲しい。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
踊る猫 さん 本が好き! 1級 (書評数:175 件)

踊ります!

読んで楽しい: 2票
素晴らしい洞察: 2票
参考になる: 11票
共感した: 1票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『縦横無尽の文章レッスン』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ