さて今回の小説ですが、滅びつつある「純文学」の如くみごとに「退屈」なものでした。(えーっと、「純文学」が滅びつつあるものかどうかについては、まー、やはりもう少ししっかり考える必要はありましょうが。)
しかし私が言うのも何ですが、日本文学の中の「純文学」作品は、文学史に名前が残っているような作品をさみだれ式に読んでいくと、ある時期までは本っ当ーーーに「退屈」なものです。(いえ、中には退屈じゃない作品もありますが、その割合は数値的に低いと断言できましょう。)
ただし、「退屈」なことと「価値がない」こととは、当たり前ですがかなり異なっていますよね、……いるはずであります。
しかしなぜ、こんなに退屈なんでしょうねえ。
うーん、結局こういう事じゃないでしょうかね。
1.かつて日本文学者は、読者の存在なんか考えたことがなかった。
2.かつて日本文学者は、「面白さ」などは唾棄すべき価値であると考えていた。
こうして文字にしてみると、やはり隔世の感がありますねー。ちょっとびっくりしますねー。
えらいもんです、プロの小説家が読者のことをまったく考えないんですから。
そんな中で読者を強く意識していたのが、おそらくは夏目漱石だったんでしょうね。だから漱石作品の面白さは他を圧倒して、全く破格に面白くあります。
そもそも日本文学がちょっと面白くなったのは、近代文学史的に言えば「耽美派」あたりからでしょうか。もっとはっきり言えば、谷崎潤一郎という極めて特殊な個性の、どちらかといえば個人的資質が生み出したものでしょう。
私は谷崎の作品を大学時代にかなりまとめて読んだのですが、その頃はそんなこと思いも寄らなかったのですが、改めて考えると谷崎作品の「面白さ」というものは思いの外に広範な影響を生んだようです。それは、面白さを価値として追求することの重要さの発見が、彼の周辺から生まれたということです。
というわけで谷崎ならぬ花袋の『田舎教師』は、基本的にはとっても退屈な小説でした。
しかし上述のように、だからといって価値がないとは全く思いません。
上手い例えになっているか少し不安なのですが、例えばファッションショーで、これはとても日常的に街中では着られないだろうと感じる洋服だとか、これも一般道ではもちろん高速道路でだって乗ることはできなかろうと思うF1カーの存在について、価値がないと感じる人はほとんどいないと思います。
それは、そういった実験的取り組みが可能性のフィールドを広げているということです。極端な創造はその世界の広がりの実験場であり、その延長上にポピュラーな世界での発展もあります。
例えば現代小説において現在日本で最も売れている作家村上春樹は、その人気の高さとは裏腹に実はかなり難解な部分を持っていますが、それこそが村上氏が新しい形の小説の「面白さ」を常に追求しているからであると私は思います。
それが、私自身「退屈」と思う本作を十分に価値あるものと考える根拠であります。
花袋がこの作品で取り組んでいたと言われる「平面描写」は、作品のストーリーの上では「退屈」を生み出したようにも思いますが、それを「写生」とみますと、極めて正確で素直な文体と描写は、やはり日本語の新しい可能性を広げたと思わせる、読んでいて心地よい感覚がありました。
花袋について、冒頭からあれこれと批判的なことを書きましたが、その同じ理由が、少し視点を変えるだけでとても魅力的なものに変わることが分かります。
いえ、そんな理屈っぽいことを考えなくても、花袋にも結構面白い作品があることも、実はわたくし、少々知っているのでありますが。……。



純文学読み始めはや数十年。病膏肓に入る状態。でも純文学以外が嫌いなわけではありません。
5年ぶりに書評をアップしました。純文学への偏愛は変わりませんが、少し柔軟にアップしていきたいと思います。よろしくお願いします。
この書評へのコメント
- かもめ通信2015-12-17 21:46
実は私『田舎教師』はまだ読んだことがないのですが……
このサイトでは結構花袋、人気がある(?)んですよ。
以前、「蒲団まつり」なるものが開催されたこともあるぐらいで…ww
試しにちょっと検索してみたら「蒲団」のレビューが12もありました。(^^;)
http://www.honzuki.jp/book/new_search/?search_word=%E7%94%B0%E5%B1%B1%E8%8A%B1%E8%A2%8B%E3%80%80%E8%92%B2%E5%9B%A3クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - アナログ純文2015-12-17 21:45
かもめ通信さん、コメントありがとうございます。
なるほど、そうだったのですね。私も今回花袋の作品を取り上げるにあたって検索してみたら「蒲団」がとても多かったのに少し驚きましたが、そういえば評論家の小谷野敦が近年「蒲団」が人気であるみたいなことを書いていたのを思い出しました。
ところで「蒲団」って、最初花袋が考えていたタイトルは別だったそうです。ただそのタイトルは小杉天外がすでに小説に使っていたものだから、いかがしたものかと悩んでいたら、編集者からタイトルについて尋ねられ、とっさに答えたのが「蒲団」だったという。花袋が最初に考えていたタイトルは、「恋と恋」。
……うーん、もしこのタイトルだったら、かなり今のものとは、作品そのものの佇まいが違ってきますよねぇ。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - はるほん2015-12-18 09:11
文学部ご出身と聞いて、なるほど!と納得。
ストーリーだけでなく、作者や時代を含めた書評、
いつも面白く読ませていただいております!
「恋と恋」というタイトルをつけようとしたあたり
花袋にとっては、割と真剣に恋愛を追求した作品だったんでしょうかねえ。
「蒲団」を推した編集者、センスいいなあ。
だってもう読後、心の中に蒲団ががっつり敷かれましたから。(笑)
>かつて日本文学者は、読者の存在なんか考えたことがなかった
ホントですよねー。悪い意味でなく、
ホント面白い時代だったんだなと思いますね!
文学作品、茶化しながらも結構好きなので
これからもアナログ純文さんの文学評、楽しみにしてます!クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - アナログ純文2015-12-18 18:09
はるほんさん、コメントありがとうございます。
「蒲団」の元のタイトルが「恋と恋」だと読んだ時、私は思わず「それはあかんやろ」と思ってしまいました。そして花袋が「蒲団」と名付けた時、花袋は明らかに小説家としてのステップを、一気に何段か駆け上ったように思います。「恋と恋」と「蒲団」とでは、小説としての体のなし方がまるで違うように感じます。
小説に限らずどんな仕事でも、その時にそれを正しく選べばいきなりその全貌が見える瞬間というものが、きっとあるような気がします。
いえ私自身は、そういった瞬間に、すでに人生の「ババ」を掴んで今に至っているような気がするのですが……。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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